ほっかいどう‐だいがく〔ホクカイダウ‐〕【北海道大学】
北海道大学
北海道大学(北海道帝国大学)
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「桂田芳枝」の記事における「北海道大学(北海道帝国大学)」の解説
東京物理学校に入学した前年の1930年(昭和5年)、北大に、日本で4番目の理学部が創設された。日本国外との交流や学問研究の国際化を目的とし、教授候補者を2年にわたって日本国外に留学させるなど、他の大学には見られない構想と意気込みでの取組であった。そのために理学部には国際派の知識を備えた教授陣が集まり、日本全国の若者たちの憧れの的であった。芳枝もまた理学部に強い憧れを持ち、自分の郷里で、最先端の知識が集結した学部で数学を学ぶことを決心した。 北大入学資格者は、女子は当時は高等女学校の教員資格者に限定されていた。芳枝は教員検定試験に挑んだが、結果は不合格であった。そこで姉は、北大の数学研究室の勤め先を紹介した。この研究室は発足したばかりで非常に多忙であり、雑用を請け負う人材を求めていたのである。 1936年(昭和11年)、芳枝は北大の数学教室の事務補助員となった。雑用を一手に引き受けつつ、受験勉強を続けた。教員検定試験は同1936年、翌1937年(昭和12年)と不合格が続いた。同1937年、東京女子大学が数学科教員無資格認定の学校として認定され、芳枝は北大の教員に勧められ、この学校に入学した。 1938年(昭和13年)、東京女子大学の学専攻部へ進んだ後、翌1939年(昭和14年)、教員検定試験に4度目にして合格した。東京女子大学でも祝福されたが、最早この学校に留まる理由はなく、翌1940年(昭和15年)に退学し、念願の北大に正規学生としての入学を果たした。十代の同級生ばかりの中、芳枝は29歳になっていた。11期生の同級生は7名、年齢的には30歳前後のグループと20歳を少し出たグループに分かれ、紅一点の芳枝は上位グループ。しかし年齢を感じることなく、7人はいつも一緒で仲が良かったようである。1942年(昭和17年)、戦時下の軍の指令により、在籍2年繰り上げで北大を卒業し、北海道帝国大学理学部数学教室第二講座(幾何学)の助手となる。
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北海道大学(H大学)
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