高松城跡
附 水攻築提跡
名称: | 高松城跡 附 水攻築提跡 |
ふりがな: | たかまつじょうあとつけたりみずぜめちくていあと |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 岡山県 |
市区町村: | 岡山市高松 |
管理団体: | 岡山市(昭5・2・18) |
指定年月日: | 1929.12.17(昭和4.12.17) |
指定基準: | 史2 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 青水宗治ノ居城ニシテ本丸、二ノ丸、三ノ丸並侍屋敷ヲ構ヘ周圍ニ城濠ヲ繞ラシタル平城ナリシガ天正十年六月羽柴秀吉之ヲ攻ムルヤ城ノ前面ニ堤防ヲ築キ足守川ノ水ヲ城地ニ注ギ以テ救援ヲ絶ツ宗治力及バズシテ目盡シ城遂ニ陷ル其ノ後城地及築堤ノ部分ハ殆ド耕地トナリシガ本丸阯及水攻築堤阯ノ東西兩端ハ今猶存ス |
高松城跡
名称: | 高松城跡 |
ふりがな: | たかまつじょうあと |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 香川県 |
市区町村: | 高松市珠藻町 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1955.03.02(昭和30.03.02) |
指定基準: | 史2 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | 昭和59.05.07 |
解説文: | 天正15年生駒親正讃岐に封ぜられ、翌16年この地に城郭を築いた。生駒氏が寛永17年領地を没収され、同19年松平瀬重これに代って就封したが、松平氏は爾来中国西国の鎭として重きをなし、連綿相続いて明治維新に至った。 本城の創置には黒田孝高の指示を得たといわれるが、現在の遺構は盖し近世初期の構築にかかり、これに松平氏が修築を加えたものと思われ、一に玉藻城ともいわれる。 地は海に臨み、これを北面の備とし、東方また海に近く。西方に石清尾山を障壁とし、南方において陸に続いている。城郭は平城であって矩形状にめぐった外堀、中堀を以て、東、西、南を固め、更に幅の広い内堀によって各郭を遊離せしめつつも、巧に配置して、最も高い天守曲輪を囲繞し、これを守っている。即ちその西方より南方にかけて西の丸及びこれに地繞きの桜馬場を鍵の手に設け、北方には二の丸を、東方より北東方にかけては三の丸を配していて、簡單ではあるが要を得た縄張と思われる。松平氏時代において三の丸の北東部を更に増強して新曲輪を築き、在来の海手門に代えて水御門を海に向って開き、また城の東辺を固めて作事曲輪(東の丸)を設けた。現在中堀内において、西の丸、西側の内堀及び桜馬場の西部は全く湮滅し、中御門の枡形、作事曲輪も概ねその旧態を失い、殊に北面が海面埋立のため海と稍々隔っているのはまことに惜むべきであるが、内海における瀕海諸城中、その遺構を止め、旧規を偲び得られるものとしては最もすぐれているばかりでなく月見櫓、渡櫓を伴う水御門の完存するが如きは殊に貴重であり、城郭史上価値ある遺跡である。 S43-01-020高松城跡.txt: 高松城は、寛文・延宝年間に、松平氏によって北と東に拡張された。このうち、東側の東之丸は、これまで指定されていなかったので、その北縁から東縁にかけて遺存する一連の石垣とその背後の土坡が追加指定された。 |
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