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高松城跡

名称: 高松城跡
ふりがな たかまつじょうあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 香川県
市区町村 高松市珠藻
管理団体
指定年月日 1955.03.02(昭和30.03.02)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日 昭和59.05.07
解説文: 天正15年生駒親正讃岐に封ぜられ、翌16年この地に城郭を築いた。生駒氏寛永17年領地没収され、同19年松平瀬重これに代って就封したが、松平氏爾来中国西国の鎭として重きをなし、連綿相続いて明治維新に至った。
本城の創置には黒田孝高指示を得たといわれるが、現在の遺構は盖し近世初期構築にかかり、これに松平氏修築加えたものと思われ、一に玉藻城ともいわれる
地は海に臨み、これを北面の備とし、東方また海に近く西方に石清尾山を障壁とし、南方において陸に続いている。城郭平城であって矩形状にめぐった外堀中堀を以て、東、西、南を固め、更に幅の広い内堀によって各郭を遊離せしめつつも、巧に配置して、最も高い天守曲輪囲繞し、これを守っている。即ちその西方より南方にかけて西の丸及びこれに地繞きの桜馬場を鍵の手設け北方には二の丸を、東方より北東方にかけては三の丸を配していて、簡單ではあるが要を得た縄張思われる松平氏時代において三の丸北東部を更に増強して新曲輪を築き、在来海手門に代え御門を海に向って開き、また城の東辺を固め作事曲輪(東の丸)を設けた。現在中堀内において、西の丸西側内堀及び桜馬場西部は全く湮滅し、中御門枡形作事曲輪概ねその旧態を失い、殊に北面海面埋立のため海と稍々隔っているのはまことに惜むべきであるが、内海における瀕海諸城中、その遺構止め旧規を偲び得られるものとしては最もすぐれているばかりでなく月見、渡を伴う御門の完存する如き殊に貴重であり、城郭史上価値ある遺跡である。
S43-01-020高松城跡.txt: 高松城は、寛文延宝年間に、松平氏によって北と東に拡張された。このうち東側の東之丸は、これまで指定されていなかったので、その北縁から東縁にかけて遺存する一連の石垣とその背後の土坡が追加指定された。
史跡名勝記念物のほかの用語一覧
史跡:  高島秋帆旧宅  高杉晋作墓  高松城跡  高松城跡  高梨氏館跡  高橋至時墓  高瀬川一之船入






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