しょうれんいん‐りゅう〔シヤウレンヰンリウ〕【青×蓮院流】
尊円流
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尊円流(そんえんりゅう)は、尊円法親王が興した書の流派(書流)である。青蓮院流(しょうれんいんりゅう)、御家流(おいえりゅう)、粟田流(あわたりゅう)とも呼ばれる。
特徴
後述のように派生流派が多く、一見隆盛を極めている流派のように見えるが、とくに傑出した能書家はいない(一休宗純が茶道用の掛物として当流を使用しているのがわずかに目立つのみとされる)。
ただし、武家の公式文書は多く御家流草書で書かれたため、次第に全国のあらゆる階層に普及した。江戸時代には教育熱の高まりとともに、寺子屋などで庶民が学ぶ往来物などの教科書でも御家流の書が用いられていたことから爆発的に普及し、明治時代に活字文化が普及するまでは日本の標準書体であった。そのため、江戸時代以前の古文書を読むには、御家流を学ぶことが必須となっている[1]。
琉球王国への伝播
尊円流は、16世紀初期には琉球王国に伝わったと見られ、この頃から仮名書きのすぐれた碑文が多く見られる。16世紀後半には城間盛久(尊円城間)が琉球の尊円流を大成した[2]。
命名の由来
- 尊円流の名の由来は、尊円法親王が世尊寺流から分化発展させ、創始したため。
- 青蓮院流の名の由来は、尊円法親王が、青蓮院門跡であったため。
- 御家流の名の由来は、尊円法親王の父・伏見天皇が、この書流を見て「今後、汝が家の流儀とせよ」と言ったため。
- 粟田流の名の由来は、青蓮院が粟田口に所在していたため(なお、当流の名称に限らず、青蓮院に縁のある事物は粟田の名を冠するものが多い(粟田焼など))。
関係諸書流
親系統
子系統
他に、勅筆流などあり。
脚注
青蓮院流(御家流)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 06:35 UTC 版)
尊円法親王は伏見天皇の第6皇子で、初め世尊寺流の世尊寺行尹・行房に書を学び、青蓮院流を確立した。この書流は江戸時代になって御家流と呼ばれ、明治時代になるまで日本の書道の中心的書風となった。青蓮院の門主によって代々継承されたが、門主による書風を区別して、尊円流(尊円法親王)・尊応流(尊応准后)・尊鎮流(尊鎮法親王)・尊朝流(尊朝法親王)・尊純流(尊純法親王)と呼ばれることもある。 書流一覧書流開祖系列時期世尊寺流 藤原行成 小野道風 平安中期から室町中期 持明院流 持明院基春 世尊寺流 室町中期から江戸中期 法性寺流 藤原忠通 世尊寺流 平安後期から鎌倉中期 後京極流 九条良経 法性寺流 鎌倉 定家様(定家流) 藤原定家 法性寺流 鎌倉 定家様(冷泉流) 冷泉為和 定家流 室町後期から江戸後期 宸翰様(伏見院流) 伏見天皇 世尊寺流、上代様 鎌倉 宸翰様(後醍醐院流) 後醍醐天皇 宸翰様 南北朝 宸翰様(花園院流) 花園天皇 宸翰様 南北朝 宸翰様(後小松院流) 後小松天皇 宸翰様 室町初期 宸翰様(勅筆流) 後円融天皇 宸翰様 室町中期から後期 宸翰様(後柏原院流) 後柏原天皇 宸翰様 室町後期から江戸初期 青蓮院流(尊円流、御家流) 尊円法親王 世尊寺流、伏見院流 南北朝から江戸 飛鳥井流 飛鳥井雅親 上代様 南北朝から安土桃山 三条流 三条西実隆 青蓮院流 室町 光悦流 本阿弥光悦 青蓮院流 江戸 松花堂流(滝本坊流) 松花堂昭乗 青蓮院流、大師流 江戸 近衛流(三藐院流) 近衛信尹 青蓮院流 江戸
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青蓮院流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 23:40 UTC 版)
和歌をはじめ世尊寺行房に学び、行房が南朝方として北国の金沢で戦死すると、その弟行尹に学んだ。小野道風・藤原行成などの上代様の書法を研究、それに南宋の張即之の書風を加味し、尊円流または青蓮院流と称される書法を作り出した。
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