露布説とは? わかりやすく解説

露布説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:41 UTC 版)

邪馬台国」の記事における「露布説」の解説

まず、古代中国文献に、いわゆる「短里」があったという記録一切ない。 一方古代中国には、軍事報告書を「実際の距離を正確に10倍して記載する」露布という慣習があった。 『後漢書』85 東夷列傳75「桓靈閒 倭國大亂 更相攻伐 歴年無主一女子 名曰卑彌呼 年長不嫁 事鬼神道 能以妖惑衆 於是共立爲王(桓帝霊帝治世の間(146189年)、倭国大乱倭国王の座を争う内乱外国史書がわざわざ記すのは国王の座に交替があった場合のみ)、さらに互いに攻め合い8年±数年も主無き態となった。卑弥呼という名の一人女子有り年長だ嫁いでいなかった。鬼神道を用いてよく衆を妖しく惑わしたここに於いて共立し王にした。)」とある通り倭国大乱は、最も早くて146年勃発し、最も遅くて189年までには倭国大乱集結して卑弥呼女王共立されたと推定される『三国志』魏書30 東夷伝 倭人魏志倭人伝)「其國本亦以男子爲王住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年共立一女子爲王 名卑彌呼鬼道 能惑衆 年已長大 無夫婿(其の国もまた元々男子王として7080年経ていた。倭国乱(倭国王の座を争う内乱王位争奪良く有る事だが、外国史書がわざわざ記すのは国王の座に交替があった場合のみ)。8年±数年間も相互に攻め合った。そこで、一人女子共立して王にした。名は卑弥呼という。鬼(神)道を用いてよく衆を惑わした年齢35歳を過ぎ(中国史書では35歳達すると年長大と表現される)、夫は無かった。)」とある通り107年倭王帥升後漢遣使から7080年後となる177187年頃までには倭国大乱集結して卑弥呼女王共立されたと推定される『梁書』54 列傳48 諸夷東夷条 倭「漢靈帝光和中,倭國亂,相攻伐歷年,乃共立一女卑彌呼爲王。((後)漢の霊帝光和年間178184)、倭国乱(倭国王の座を争う内乱外国史書がわざわざ記すのは国王の座に交替があった場合のみ)、8年±数年相互に攻め合った。そこで、一人女子卑弥呼共立して王にした。)」とある通り178184年までには倭国大乱集結して卑弥呼女王共立されたと推定される『三国史記』新羅本紀に「二十年五月。倭女王卑彌乎。遣使来聘」とある通り遅くとも173年旧暦5月には、倭国大乱終結により卑弥呼女王共立されていた、と推定される帯方郡204年設置され313年廃された。 三国志魏志は魏(220265)を対象とする。 上記全て露布の慣習があった時代である。 次に古代中国における「里」の距離について。次の通り時代ごとに微妙に異なる。 西周: 358.20m 東周: 415.80 秦: 415.80m 漢: 415.80m 魏呉蜀三国時代: 459.00m 晋: 459.00m 隋: 459.00m 唐: 443.70m 魏志倭人伝は魏呉蜀三国時代史書なので、当時一里は459mであったことは確実である。帯方郡行政機関軍事拠点兼ねており、報告書全て軍事報告書として書かれたと推定されるその場合、帯方郡情報元に書かれたと推定される魏志倭人伝は、露布で千里記されていても、実際の距離はその1/10の45.9Kmであった可能性が高い。実際魏志倭人伝には、釜山から対馬対馬から壱岐壱岐から九州北岸それぞれ千余里と記されているが、最短渡海距離で考えれば釜山南端から対馬北端まで約50Km対馬南端から壱岐北端まで約50Km壱岐南端から九州北岸糸島半島付け根)まで約50Kmなので、露布で「正確に10倍した千余里」にほぼ合致する。 したがって魏志倭人伝の里の距離は、古代中国文献明記される露布慣習説明できる。(一方いわゆる「短里」は一切古代中国文献出て来ない。)

※この「露布説」の解説は、「邪馬台国」の解説の一部です。
「露布説」を含む「邪馬台国」の記事については、「邪馬台国」の概要を参照ください。

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