防諜部隊防護活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 13:41 UTC 版)
軍事、外交およびその関連施設に対する攻撃は、1983年にベイルートで行われたフランスとアメリカの平和維持軍に対する攻撃や、1996年のサウジアラビアのアル・コバール・タワーに対する攻撃、1998年のコロンビアとケニアで行われた基地や大使館に対する攻撃、2000年にケニアで行われたアメリカ海軍のミサイル駆逐艦に対する攻撃など、実際に起こりうる本当の脅威である。アメリカ軍を保護する方法は、軍人やその家族、資源、施設と機密情報に対して行われる一連の活動に向けられるものであり、そしてほとんどの国はそれらの施設を保護するために同じようなドクトリンを持っており、また起こりうる攻撃に対して注意深く備えている。部隊防護は偶然または自然災害によらない、故意の攻撃からの防護と定義される。 防諜部隊防護活動(CFSO)は海外において人的資源を活用して行われる作戦であり、通常は秘密裏に行われ、国内とのセキュリティのレベルのギャップを埋めるとともに、諜報活動を行う際に指揮官からの諜報員への要求を満たすことが目的である。 地元の人々と交流している軍警察やパトロール隊は、防諜のためのヒューミントの資源としては本当に価値があるかもしれないが、彼ら自身が防諜部隊防護活動を行うことはない。グレッグホーンは国家の諜報機関の諜報員の保護と、敵を撃退するための軍隊を提供したり、部隊防護のための情報の提供が諜報機関に必要とされることを区別している。ヒューミントの資源は、本当にヒューミントとして利用するかもしれないが、特に防諜と関連があるわけではい外国人との混同を防ぐ軍の偵察パトロール隊など他にもある。部隊防護、諜報機関の活動、または国家の安全保障にとって重要な施設の保護に用いられるアクティブ・カウンターメジャーは、ヒューミントのディシプリンと関わりがあるが、外国のエージェントを発見するための非正規、臨時のあるいは付随した資源と呼ばれる人的資源からの情報、例えば、 政治亡命のために離反を始めようとする情報機関に志願して採用された者 気づいていない人的資源(防諜にとって有益な情報を提供し、漏洩の過程にあるそのような情報が、審査で彼らに有利に働いているとは知らないかもしれない、すべての個人) 発見され捕虜となった者 難民と国外追放者 審査中に接触を受け、面接を受けた者 公式の連絡係 から受け取った情報の選別と報告を行う。 『物理的セキュリティは重要である、しかしそれが部隊防護活動の役割に優先することはない...すべての諜報機関のディシプリンは部隊防護活動のための情報を収集するために利用され、諜報活動と諜報機関によって収集されたヒューミントの情報は、テロリストや部隊防護の他の脅威の示唆と警告を与える際に重要な役割を果たす』。 現地国に展開する軍への部隊防護は、任務の遂行中や、宿泊先においてさえ、国家レベルのテロ防護組織による十分な支援を受けていないかもしれない。ある国において、すべての活動の、軍事支援や顧問団とともに、部隊防護防諜活動の人員とともに活動することにより、現地国の法執行機関と諜報機関との関係を築き、地域の環境について理解し、言語能力を改善することが可能になる。部隊防護防諜活動による国内のテロリズムの脅威への取り組みのためには、その国における法的な能力の問題を解決することが必要となる。 コバール・タワーへのテロ攻撃におけるテロリストの計画が教訓となり、長期間にわたる部隊防護防諜活動の必要性が明らかとなった。『ヒズボラのスパイたちは、この攻撃のための情報の収集と計画の活動が1993年に開始したと考えられていた。彼らは1994年の秋にアメリカ軍の軍人がコバール・タワーに宿泊していたことを認識し、施設の下見を開始し、テロの計画を立てるため1995年の6月まで継続した。1996年3月、サウジアラビアの国境警備隊がプラスチック爆弾を持ち込もうとしたヒズボラのメンバーを逮捕し、2人のヒズボラのメンバーのさらなる逮捕につながった。ヒズボラの指導者はそれらの逮捕により、代わりの人材をリクルートし、テロの計画を継続した』。
※この「防諜部隊防護活動」の解説は、「防諜」の解説の一部です。
「防諜部隊防護活動」を含む「防諜」の記事については、「防諜」の概要を参照ください。
- 防諜部隊防護活動のページへのリンク