関索とは? わかりやすく解説

関索

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/27 14:22 UTC 版)

関 索(かん さく、繁体字: 關索; 簡体字: 关索)は、『花関索伝』『三国志演義』等に登場する架空の人物。関羽胡金定[1]の子。民間伝承では維之[2]


  1. ^ 新編全相説唱足花関索出身伝 前集
  2. ^ 聖帝世系考証(中国語)』 「聖三子諱索,字維之,己亥之難奔川請兵報讎,建興二年従武侯征孟獲為先鋒。」
  3. ^ 『欽定古今圖書集成』澂江府。『貴州通志』巻7 思南府,、大定府、南籠府。
  4. ^ それぞれ、関羽関索廟、関索が休んだ場所、鮑家莊があり西征の開始場所。『欽定古今圖書集成』黃州府
  5. ^ 新人物往来社(編)、1996年(平成8年)、「「関羽の息子、花関索伝」」、濱田寛(編)『決定版「三国志」考証事典』別冊歴史読本』、新人物往来社〈別冊歴史読本―考証事典シリーズ〉 ISBN 978-4404024091 ASIN 4404024096 pp. 86-96
  6. ^ 上田望、2003年(平成15年)、「雲南関索戯とその周辺 The Mask Theatre of Guan Suo and its Context (PDF) 」 、『金沢大学中国語学中国文学教室紀要』(6)、金沢大学文学部中国語学・中国文学講座、ISSN 1342-3975NAID 110004713781 pp. 69-97雲南関索戯とその周辺”. 上田望. 2011年12月14日閲覧。
  7. ^ 廣田律子、1998年(平成10年)、「資料紹介・中国民間の仮面 (二)花関索面」、『麒麟』(07)、神奈川大学、ISSN 0918-6964NAID 120002399503 pp. 41-43


「関索」の続きの解説一覧

関索

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三国志 (横山光輝の漫画)」の記事における「関索」の解説

関羽息子関興の弟。荊州奪われた際に重傷を負うが一命取り留め南蛮遠征より参戦木鹿王討ち取る功績をあげた。

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関索

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三國志曹操伝」の記事における「関索」の解説

関羽三男関羽関平亡き後関興と共に蜀を守る。青ルートでは兄である関興の事を呼び捨てにしているシーンがある。

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関索

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三国志演義の成立史」の記事における「関索」の解説

関索は上述のごとく、架空の人物であり、版本によって登場仕方異なる。諸本最終的に校訂した毛宗崗本では、関羽第三子とし、諸葛亮南蛮征伐中に登場後ほとんど活躍のないまま、物語から消える。演義』よりやや遅れた16世紀前半成立した水滸伝』には「病関索」のあだ名を持つ楊雄という人物登場するこの人物の初出南宋時代である。南宋末の画家龔聖与(1222年? - ?)は後の『水滸伝』の原型ともいうべき宋江36人の肖像画と賛を作成した。現在肖像画散佚したが、賛のみ同時代周密1232年 - 1298年)の著わした『癸辛雑識続集』に引用されている。そこでは「賽関索 王雄」の名が見られる(病や賽は本家よりやや劣るという意である。楊(yáng)と王(wáng)は平水韻では下平声七陽に属する字で発音が近い)。この記述から、南宋末(13世紀半ば)の時点ですでに関索の名が知れ渡っていたことが分かる同じく南宋から元代にかけて横行した盗賊中にも逆に盗賊取り締まる軍人の側にも関索、賽関索などのあだ名見られる。また首都臨安繁栄描いた武林旧事』には、都市盛り場での角力でも小関索・厳関索などの四股名見られるなど、「関索」が広く認知されあだ名用いられる英傑として定着していたことがうかがえる。また伝承の中で関索が活躍した思われる四川省雲南省貴州省などの地域には、関索嶺や関索廟、関索城などの地名残っている。 これらの関索伝説について小川環樹は、中国天文学星座に「貫索九星」(かんむり座一部)があり、それが神様として崇拝され可能性指摘する宋代三国物語(特に孔明南征関羽神格化など)がこの地方に広まるにつれ、関羽への連想から貫索が関索に変化して(「貫」(guàn)と「関」(guān)はほぼ同音)、南征説話と結びつけられ、「関羽の子死してとなった」という伝説昇華したという。そのほか宋代架空武将関索の名が広まり武勇優れる「関」姓の将軍ということから関羽関連づけられ、息子ということにされたとする説もある。 『平話』で関索は孔明南征中、不危城に籠もる呂凱を倒すため突然登場し、しかもその一度しか出てこない。また元代雑劇のうち、三国時代舞台とした作品群の中にも、関索の名は全く登場していない。すなわち、関索にまつわる伝説は、演義につながる説話とは独立して発展したものであり、その集大成となったのが『花関索伝であった。『花関索伝』には、上記呂凱と戦う場面など『平話』と共通する設定いくつかある。呂凱正史・『演義』ともに、蜀の官僚南蛮対峙する人物であり、ここで敵(南蛮側)として登場するのは本来おかしい。しかし『平話』『花関索伝』に共通する設定となっていることから、『花関索伝』の成立は『平話』とほぼ同時もしくはやや遅れたと見られる。これら関索伝説は原「三国演義」の完成段階採用されることはなかったが、余象斗や鼎臣などの福建書肆が、二十巻本系の刊本を出す際に一部挿入した。しかし毛宗崗によって、史実から逸脱した関索の逸話削減され、毛宗崗本ではほとんど名前が出てくるのみの登場となった

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