長崎市長として
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2007年4月25日に市長として初登庁した。5月末には中核市市長会会長に選出されたほか、6月8日から市長と市民が顔を合わせる「ちゃんぽんミーティング」を行っている。また、6月10日には「長崎さるく博」で市職員としてガイドを17回務めた経験を生かし、観光客に映画『解夏』(原作さだまさし)のロケ地である聖福寺のガイドを行った。事前の知らせは無かったため、観光客は驚いたという。 6月30日に防衛大臣の久間章生が長崎への原爆投下について「しょうがない」と発言したと伝えられたことを受け、「高校生平和大使」10周年記念会に出席していた田上は「事実とすれば、被爆地として容認できない」と強く非難した。さらには7月3日に上京、久間と面会し「被爆者の心情を踏みにじるものとして看過できない」という内容の要請文を手渡した。久間からは釈明の場を設けて欲しい旨の提案があったという。午後には安倍晋三首相に面会し、政府に抗議した。安倍は田上に対し、核廃絶を目指す政府の方針を改めて表明した。久間はこの日の午後、辞意を表明したが、夕方に長崎市役所で行った記者会見で田上は「決着がついたわけではない」と強調した。なお、7月7日に行われた「平和宣言文」起草委員会では抗議をすべしという意見が相次いだ。しかし委員長である田上は、久間の発言に特化することなく、核廃絶と逆の方向に向かう意見に対する抗議を述べるほうが良いと考えたため、8月9日の平和祈念式典で読み上げられた平和宣言文には、発言を直接的に批判する言葉は盛り込まれていない。 9月18日には、山崎拓が北朝鮮の核実験について「やらせてよかった」と発言した。これに対し田上は同月21日に抗議文を出し、山崎は同月22日付けで「今後とも核兵器廃絶に向け全力を尽くす」とした回答書を提出した。 2009年8月1日未明に放送された『今夜も生でさだまさし 奈良よし!鹿よし!あをによし!』(NHK総合)に実名で投稿した。長崎市出身のさだに、9日の原爆忌に関連し平和を目指す取り組みへの訴えに協力を要請する趣旨の内容であった。 同年8月9日に発表された平和宣言は、米国大統領のバラク・オバマが同年4月にチェコ共和国・プラハで行った核廃絶を目指す内容の演説を支持し、賛同の輪を広げるよう呼びかけるものとなったほか、核保有・同疑惑国首脳の実名を挙げ、長崎市を訪問するよう求めた。 2011年の市長選挙(第17回統一地方選挙)では2期目を目指して立候補した。4月24日に投開票が行われ、長崎市長選で過去最多となる15万票を得て再選した。立候補の際、政党に推薦願は出さなかったが、自民党や民主党はそれぞれ独自に支持という形を取った。 2015年の市長選挙(第18回統一地方選挙)では田上の他に立候補がなく、4月19日に無投票で田上の3選が確定した。 2019年の市長選挙(第19回統一地方選挙)で4選。
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