野木氏とは? わかりやすく解説

野木氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/17 10:07 UTC 版)

野木氏(のぎし)は、日本氏族の1つ。「新編姓氏家系辞典」などでは以下が見える


  1. ^ 塚田清市 1938, p. 7.
  2. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)『玉木文之進』 - コトバンク
  3. ^ 戸川幸夫 1968, p. 22.
  4. ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会 1996, p. 339.


「野木氏」の続きの解説一覧

野木(乃木)氏(宇多源氏佐々木氏族)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 05:48 UTC 版)

「野木氏」の記事における「野木乃木)氏(宇多源氏佐々木氏族)」の解説

出雲国発祥氏族で、同国内の地名由来し表記野木乃木、能義、野城通じて用いられている。『和名抄』では能義に乃木注記があるとする。 宇治川の先陣争い知られる佐々木高綱次男・光綱が、出雲国能義郡野城郷(または意宇郡乃木保)に住し野木二郎左衛門尉称したのに始まる。なお、佐々木系図では能義二郎左衛門尉表記されている。 光綱は、叔父隠岐守・佐々木義清猶子となったとされる『尊卑分脈』はじめとする系図鎌倉時代数代載るほか、一次資料としては、「出雲千家文書所収文永8年1271年)の関東御教書出雲国杵築大社御三月会相撲頭役結番事」に、出雲国内の地頭として、光綱裔と推定される次の一族記載がある。 能義郡乃白庄 乃木太郎兵衛尉(光綱の子・春(泰)高又は孫・景元比定) 〃 日吉末社 同人 意宇郡乃木乃木七郎 (光綱の子七郎景家に比定) 神戸木津御島 乃木四郎子(四郎高定の子四郎清高(光綱の孫)か、大伴氏系図によれば四郎高定の母は朝山惟綱娘) 高綱の名が平家物語等で後世まで語り継がれる一方子孫振るわず大身武家となる有力な系統が出なかったため、室町時代以降詳細不明である。 隠岐流佐々木氏宗家である塩冶高貞暦応4年1341年)に山名時氏らに追討された後は、出雲守護となった山名氏京極氏などの被官となり、一族但馬国畿内などに分散していった模様であり、一次資料軍記物断片的に登場している。 天文3年1535年)の「但馬國宮内惣持寺本尊造立奉加帳」には、乃木日向守乃木丹後守の名が記載されている。但馬國宮内には、山名氏宗家居城である此隈山城があるが、同城の武家屋敷跡から出土した永禄12年8月24日1569年)付の木札にも乃木出羽守記載があり、山名氏家臣団に組み込まれ系統があったのは確かであろう

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