都市対抗野球大会
(都市対抗野球 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/25 00:07 UTC 版)
都市対抗野球大会(としたいこうやきゅうたいかい、the Intercity Baseball Tournament)は、毎年夏に行われる社会人野球のトーナメント大会である。「都市対抗野球」、また単に「都市対抗」ともいう。
注釈
- ^ それ以前の1992年第63回と1996年第67回も、夏季オリンピックに硬式野球が正式種目であったため、臨時の処置で同時期の開催となっていた。
- ^ その代わり、例年この時期に行われる日本選手権が、7月にほっともっとフィールド神戸と京セラドーム大阪で開催される予定であった。しかし、新型コロナウイルス感染拡大のため、日本選手権は中止となった。
- ^ 一方でプロ野球は日程変更により日本選手権シリーズと都市対抗野球の開催時期が重複し、東京ドームを本拠地とする読売ジャイアンツが進出したため代替地として京セラドーム大阪で日本選手権シリーズを開催することになった。
- ^ 2020年と同様に日本選手権は6-7月に神戸と大阪に会場を分けて、この年は予定通り行われた。
- ^ 現WBSCプレミア12に相当。
- ^ 現ワールド・ベースボール・クラシックに相当。
- ^ これにより、通常同時期の日本選手権で行う複数会場の1回戦の分割開催も行わないことになった。当初、分割開催は2012年に改めて行う予定だったが、結局、京セラドーム大阪単独開催となり、事実上2010年で分割開催は廃止された。(よって、2011年に予定されていた高松、北九州の初開催も幻となっている)
- ^ ただし、走者をアウトにするか、走者が進塁するか、あるいはランダウンプレイ(挟殺プレー)となった場合には3回目以上の牽制球であってもボークにはならない。
- ^ ただしこの場合、予選を経由していないことから地区代表としての位置づけはなく、したがって補強選手も得られない。
- ^ これは、東京市が1943年に東京都制により東京府と合併して東京都になったことによるものである。
- ^ たとえば群馬県ではSUBARUが決勝から登場し(2次予選への代表枠は2チームであるため自動的に2次予選進出が決定している)、クラブチーム内での最高成績チームと決勝戦を行っている。
- ^ たとえば過去に埼玉県ではHondaと日本通運は1・2位が決定しており、その順位決定の試合を行っていた。
- ^ 中には第78回都市対抗野球大会での東芝のように、クリーンアップを西郷泰之(当時三菱ふそう川崎)・小山豪(当時日産自動車)・渡部英紀(当時三菱重工横浜硬式野球クラブ)と補強選手で固めて優勝した例もあることから、「補強を制する者黒獅子旗を制する」とも言われる。
- ^ 大会予選規約内に「選出された選手は必ず協力出場しなければならない」との一文がある[5]。
- ^ 直近の例では、第91回大会・第92回大会の日本通運がこれに該当。
- ^ 開幕日のおよそ1か月前に特定試合シード選定会議が開かれ、ここで特定試合シードとなるチーム並びに試合日程が選定される。
- ^ 同一企業内からの出場はもちろん、チームの来歴から他チームと同系列とみられる場合も同一企業内チームとして取り扱われる(企業チームがクラブチーム化してから本大会に出場した場合など)。
- ^ JRグループは全チーム同一企業として取り扱われてきたが、第82回大会からは、JR東日本・JR東日本東北間を除いてすべて別チームとして扱われることとなった。
- ^ 34チームで行われる関係で1回戦が2試合だけだった。
- ^ 広島・西武で活躍した山根和夫(日本鋼管福山時代の第46回大会に登録)の実兄で、ともに投手。
- ^ 第33回は日本通運名古屋の補強選手として出場
- ^ 日本社会人野球協会初代会長の宮原清をたたえる盾。
- ^ 2011年は大阪での開催のため、通常日本選手権優勝チームに贈る大阪市長杯を贈呈。
- ^ フィリピン野球の父と呼ばれ、アジア野球連盟会長も務めたチャールズ・パーソンをたたえるカップ。2015年大会開会式で日本野球連盟に返還され、野球殿堂博物館に寄贈された。
- ^ 日本社会人野球協会第4代会長の本田弘敏をたたえるメダル。優勝チームには金メダル、準優勝チームには銀メダルが贈呈される。
- ^ 優勝・準優勝チームに大塚製薬からポカリスエット1年分などが贈られる。
- ^ ただし、2020・21年の第91・92回大会に関しては、東京五輪の都合による日程の入れ替えで、日本選手権が夏季に繰り上げ(2020年は中止)となったため、都市対抗優勝枠に相当するものは、大会が成立した2021年・第46回日本選手権大会においては、2019年・第45回同大会優勝の大阪ガス硬式野球部に充当された。
- ^ 男子リーダー、女子チアリーダー、吹奏楽。
- ^ 第67回大会では陸上の長距離走選手として知られる松野明美が当時所属していたニコニコドーの、また第92回大会では同年の東京オリンピック・空手競技女子・形の銀メダリスト清水希容が所属のミキハウスのマスコットを務めたことがある。
- ^ 三菱重工系列の場合、商品の一つであるビーバーエアコンからビーバーがマスコットを務めることがある[9]。
- ^ ただし、2011年は東日本大震災の影響により、JR東日本東北の主将が務めることとなった。
- ^ 同年8月に行われる第5回IBAF女子ワールドカップのプロモーションのため。捕手は同じく日本代表の直井友紀が務めた。
- ^ a b 2013年の野球殿堂入り。
- ^ 2014年4月から6月にかけてTBSテレビで放送された『ルーズヴェルト・ゲーム』で社会人野球選手役を演じた。なお実父・工藤公康も元野球選手<社会人野球の経験はなし>である。大会会場では同番組のグッズも販売されていた。
- ^ 野球のスイングが話題のTVCFに出演。
- ^ 国際大会のPR及びオリンピックにおける野球・ソフトボール競技採用に向けたアピール。
- ^ 松中信彦(新日鉄君津→ダイエー)と「一球勝負」を行う。
- ^ 打席にはテディ・リネールが立つ。
- ^ 決勝開始前に、松永怜一(2022年5月に死去)を追悼するセレモニーがあり、始球式もその一環で行われた。
- ^ 大半はサイマル放送であるが、J SPORTSのプロ野球中継などにより平日のナイターなど一部時間が異なる。GAORAが大会を放送していた第79回2008年決勝戦は、GAORAがプロ野球を放送したため、先にTCN独自放送チャンネルで生中継後、GAORAで録画放送(TCN視聴者には実質再放送扱い)したことがあった。また、2014年はNHK BS1で準決勝第2試合と決勝戦が生中継されるため、BS(J SPORTSでは2011年秋から2012年春にかけて順次BS放送を開始)で重複するのを避けるために、J SPORTS側は録画中継(準決勝第2試合は翌日昼に録画中継、決勝は試合日当日深夜にニアライブ方式で放送)するため、TCN視聴者は2008年と同じく独自チャンネルでの生放送後、実質再放送となる。
- ^ テレビ埼玉・テレビ神奈川・千葉テレビ放送・とちぎテレビ・群馬テレビの5局。この番組に関しては、テレビ埼玉が制作幹事局となっている。なお、TOKYO MXは5いっしょ3ちゃんねるの対象外のため放送なし。
- ^ 36チーム参加による日程の都合で初日から3試合開催であるのと、翌8月22日の第2日が4試合開催であるため、通常の3試合開催日から1時間早く開催された関係(前述参照)。
出典
- ^ 都市対抗野球:12年度から7月中旬開幕 JABA決める - 毎日jp(毎日新聞) - ウェイバックマシン(2011年2月18日アーカイブ分)
- ^ 毎日新聞2011年3月26日付[リンク切れ]
- ^ 都市対抗野球:東京以外で初開催…東日本電力不足に対応 - 毎日jp(毎日新聞) - ウェイバックマシン(2011年5月20日アーカイブ分)
- ^ 11月1日、同決勝戦のGAORA実況中継より[出典無効]。
- ^ 第84回大会予選規約 (PDF)
- ^ 日本野球連盟大会情報一覧・2021年11月・同12月
- ^ “東日本大震災:「青獅子旗」を新調…都市対抗東北大会開幕”. 毎日jp (毎日新聞社). (2012年6月2日). オリジナルの2012年7月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ 第85回大会ご案内
- ^ 三菱重工名古屋(名古屋市) - 毎日jp(毎日新聞) - ウェイバックマシン(2009年8月30日アーカイブ分)
- ^ a b NDLJP:1316380(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 都市対抗野球行進曲 - 歌ネット
- ^ 古関裕而秘曲集 〜プレミアム編(日本コロムビア)
- ^ “都市対抗野球:身障者野球のバッテリーが始球式”. 毎日新聞. 2023年2月5日閲覧。
- ^ “【都市対抗野球】始球式に五輪柔道3大会連続金メダルの野村忠宏氏が登板”. スポーツ報知 (2022年7月22日). 2023年2月5日閲覧。
- ^ “都市対抗野球:第3試合の始球式は円盤投げの湯上選手”. 毎日新聞. 2023年2月5日閲覧。
- ^ “都市対抗野球:ラグビーのリーチ・マイケル選手が始球式”. 毎日新聞. 2023年2月5日閲覧。
- ^ “都市対抗野球:キーナンさん親子が始球式”. 毎日新聞. 2023年2月5日閲覧。
- ^ 今市は第92回大会のスペシャルサポーター(当大会で初めて設置)を務めた。
都市対抗野球
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 04:31 UTC 版)
都市対抗野球大会では1996年まで、前回優勝チーム(無条件で次回大会推薦でシード出場)の試合が開幕戦に充てられていたが、1997年に一度廃止。2011年に前回優勝チームの推薦出場が再開され、開幕戦出場も復活。
※この「都市対抗野球」の解説は、「開幕戦」の解説の一部です。
「都市対抗野球」を含む「開幕戦」の記事については、「開幕戦」の概要を参照ください。
都市対抗野球
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 19:40 UTC 版)
1929年慶應卒業後、「お前は内地向きじゃない」と言われ南満州鉄道に入社。満州倶楽部で投打の中軸として毎年都市対抗野球に出場した。谷口五郎(岩瀬五郎)、渡辺大陸と並び、初期都市対抗を沸かせた"大投手ビッグ3"とも呼ばれた。同年第3回大会では児玉好雄らと共に満州倶楽部2度目の優勝に貢献。1930年入営。 1931年第5回大会、初戦で八幡製鐵所の20歳の投手・大岡虎雄と投げあい2対1で敗れる。1932年の第6回大会では伏兵・全神戸に敗れたが準優勝投手。1934年、弟・浜崎忠治が満州倶楽部に加入。戦前のアマチュア時代は左利きの“小さな大投手”として日本球界をリードした一人であった。 1931年、1934年と二度来日したジョー・ディマジオ、ベーブ・ルースら米大リーグ選抜チームと対戦する全日本軍(日本選抜チーム)にいずれも選ばれ好投、1934年は沢村栄治らを抑えて両チーム最多の7試合に登板した。のちに巨人軍の母体となったこのチームに残らないか、と誘われたが18戦全敗した事で、水原茂らと満州に帰った。 帰国後も大連実業×満州倶楽部の「実満戦」などに選手、球審として活躍。太平洋戦争勃発直前の1941年には明治神宮野球大会に監督兼投手として出場。準決勝、決勝を2試合連続完封して全国制覇し「41歳のエース」と謳われた。身長は150~160cmまで色んな説があり(浜崎自身は自著で五尺二寸と述べているが151cm説もある)、当時としてもかなり小柄な選手であった。
※この「都市対抗野球」の解説は、「浜崎真二」の解説の一部です。
「都市対抗野球」を含む「浜崎真二」の記事については、「浜崎真二」の概要を参照ください。
都市対抗野球
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 00:34 UTC 版)
都市対抗野球大会では、これまでに完全試合2人を含む5人が達成している。 開催年大会投手チーム試合スコア相手球場備考1940年 第14回 市田夏生 大阪市・中山製鋼 1回戦 2-0 京都市・京都協会 後楽園 1954年 第25回 岡本教平 川崎市・トキコ 2回戦 1-0 高砂町・鐘淵化学 後楽園 1957年 第28回 村上峻介 二瀬町・日鉄二瀬 1回戦 1-0 高砂市・鐘化カネカロン 後楽園 完全試合 2011年 第82回 森内壽春 仙台市・JR東日本東北 1回戦 4-0 横浜市・三菱重工横浜 京セラドーム大阪 完全試合 2017年 第88回 阿部良亮 さいたま市・日本通運 2回戦 2-0 門真市・パナソニック 東京ドーム また、1971年の第42回大会で、大阪市・電電近畿が大阪市・日本生命戦で、無安打勝利をしている。スコアは1-0だった。
※この「都市対抗野球」の解説は、「ノーヒットノーラン」の解説の一部です。
「都市対抗野球」を含む「ノーヒットノーラン」の記事については、「ノーヒットノーラン」の概要を参照ください。
- 都市対抗野球のページへのリンク