近隣地域との文化的重なり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 06:37 UTC 版)
「アメリカ合衆国中西部」の記事における「近隣地域との文化的重なり」の解説
中西部の定義の違いは主にハートランドとグレートプレーンズの間の相違にあるが、五大湖とラストベルト(錆の帯、工業地帯)の間にもある。グレートプレーンズのカンザス州、アイオワ州、両ダコタ州およびネブラスカ州の小さな町と農業社会が伝統的中西部の生活様式と価値観の一方の代表とするなら、五大湖の衰退しつつあるラストベルトの都市は19世紀や20世紀始めの移民の歴史を経て、製造業の基地、強いカトリックの影響というのがもう1つの代表的な顔である。このような定義に従えば、ニューヨーク州バッファローは中西部といってもよいかもしれない。 伝統的な定義による中西部の特定地域は「中西部」の代表とは言われず、中西部の外の地域が中西部の一部と言われることがある。これらは歴史的、文化的、経済的あるいは人口動態的に含められたり、含められなかったりするものである。 他の重要な地域はアパラチア山脈であり、オハイオ州南部で中西部に入っている。オハイオ川は長い間北部と南部の境界となってきたが、中西部とアッパー・サウス(南部上流地域)との境界でもあった。中西部でもミズーリ州のような南方の州は南部的な要素が強く、南北戦争の前はミズーリ州だけが奴隷制度を容認していた。 さらに、北東部諸州の一部には中西部の感覚がある。ペンシルベニア州西部にはエリー市やピッツバーグ市があるが、これらは「中西部」と文化、歴史および同一性を分け持っており、アパラチア山脈でも重なっている。エリー運河の西の外れにあり五大湖の玄関口であるニューヨーク州バッファローは、中西部の方向を向いており、多くの例でその住民は東部海岸の都市よりもシカゴやデトロイトの文化に馴染みやすい。しかし、ペンシルベニア州西部やニューヨーク州西部の住人が自分達を中西部の者と考える例は少ないであろう。 モンタナ州、ワイオミング州、特にコロラド州のプレーリー部分は時として中西部と考えられ、特に地理的に合衆国の中央に近いグレートプレーンズの人々はそう考えている。しかしそのような考え方は五大湖地方の多くの人々には受け入れられず、五大湖の人々はグレートプレーンズですら中西部とは見なさず、放牧地だと考えている。 オクラホマ州は時として中西部の州と考えられるが、通常は南部中央の州である。オクラホマ州東部はその文化の歴史や石油事業で南部の産業と結びつきがあることで、明らかに「南部」であり、近隣のアーカンソー州、テキサス州東部およびミズーリ州南部と共通している。しかし、オクラホマ州西部と中部(オクラホマシティ都市圏を除く)、およびテキサス州北部(アマリロ市を含む)は対照的に、アメリカ南部あるいは南西部よりもカンザス州、ネブラスカ州およびコロラド州東部と共通の経済、気候および文化的な要素を抱えている。これらの地域は一時的にアメリカ連合国の支配下に入ったが、南北戦争当時は人口が少なかったこともあり、後に多くの中南部の人が開拓し放牧や小麦の生産への依存度が高い。この点で綿花や木材を農業生産物とする南部の特徴とは一線を画している。 ケンタッキー州も時に中西部と考えられることがあり、南北戦争の時は北軍に留まったことからも南東部と中西部の境界州としてその遺産を反映している。しかし、アメリカ合衆国国勢調査局はケンタッキー州を南部に分類しており、その文化は特に田舎の方で南部の特徴を残している。トウモロコシや穀類の生産においては、アメリカの農業生産の核であるコーンベルトを形成しており、イリノイ州やインディアナ州およびアイオワ州との繋がりがある。 オハイオ川に接するケンタッキーの北境界では特に工業化され都市化も進んだルイビルや北部ケンタッキー地区は19世紀に相当数のドイツ人移民が入り、 中西部の州と似た状況であった。この地域はラストベルトと同じく人口や雇用者数の減少を経験している。
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