親和会
行政入力情報
|
親和会
親和会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 00:48 UTC 版)
1965年に解散した二代目本多会 二代目北原組(組長・柴田敏治)の幹部だった細谷勝彦を会長に1967年頃、高松親和会(たかまつしんわかい)として結成された。1971年に親和会に改称した。 1971年、若林組と抗争事件を起こし、1982年、同じく若林組と抗争(高松抗争)を起こし、阪神懇親会が仲裁した。1984年、新高松抗争を起こすなど、他組織との抗争を繰り返し、現在でも独立系を守っている。 1992年12月、香川県公安委員会から指定暴力団に指定された。 2005年2月には五代目山口組 三代目山健組 七代目中津川組(組長・長尾昌志)との抗争を起こした。4月には山口組 五代目豪友会とも抗争を起こし、組員が高知市内の豪友会本部に発砲する事件も起きた。 2005年10月、理事長・吉良博文(吉良組組長)が二代目を継承した。吉良は2006年1月、大阪市内にて開かれた賭博に客として参加していた際に、大阪府警の摘発を受けて、七代目酒梅組系組員らとともに逮捕された(常習賭博容疑)。 2007年、吉良博文が六代目山口組幹部・光安克明と五分兄弟盃を交わし、山口組との友好関係を築いた。 2008年、細谷勝彦が総裁職を退き引退した。
※この「親和会」の解説は、「親和会 (高松)」の解説の一部です。
「親和会」を含む「親和会 (高松)」の記事については、「親和会 (高松)」の概要を参照ください。
- 親和会のページへのリンク