芸予要塞とは? わかりやすく解説

芸予要塞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/25 08:46 UTC 版)

芸予要塞(げいよようさい、旧字体: 藝豫要塞)とは、瀬戸内海の忠海海峡と来島海峡の線に設置された大日本帝国陸軍要塞である。1897年(明治30年)3月に建設が開始された。


  1. ^ 『官報』第4915号、明治32年11月17日。
  2. ^ 『官報』第5092号、明治33年6月25日。
  3. ^ 土木学会 平成13年度選奨土木遺産 芸予要塞・小島砲台跡”. www.jsce.or.jp. 2022年6月9日閲覧。
  4. ^ a b 『官報』第2408号、大正9年8月11日。
  5. ^ a b 『官報』第2692号、大正10年7月21日。
  6. ^ a b 『官報』第3306号、大正12年8月7日。
  7. ^ 『官報』第3421号、大正13年1月21日。
  8. ^ a b 『官報』第3696号、大正13年12月16日。


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芸予要塞

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大久野島」の記事における「芸予要塞」の解説

大久野島灯台」を参照 最初に近代的施設建てられたのは、大日本帝国陸軍施設ではなく逓信省大久野島灯台である。四国大島挟まれ来島海峡海の難所であったため、それを避けるよう副航路として北側大きく迂回する三原瀬戸航路用いられることとなり、大久野島灯台はその航路上に置かれ9つ灯台のうちの一つで、明治27年1894年5月点灯した。なお現在の灯台2代目である。 「芸予要塞」を参照 その次にできるのが陸軍大久野島砲台(芸予要塞)である。明治初期瀬戸内海から京阪への欧州列強艦船侵攻備えるため、狭隘部である紀淡海峡鳴門海峡豊予海峡下関海峡沿岸要塞砲台を置くことになった豊予だけは当時要塞砲海岸砲)の最大射程より海峡幅の方が広かったため、別案として立てられたのが芸予要塞である。計画自体明治6年1873年)『海岸防禦法案』から始まったもので、最終的に忠海海峡のこの島と来島海峡小島2つ決定したのは日清戦争後明治30年1897年)、そして芸予要塞の全ての工事明治35年1902年竣工した資料によっては、日露戦争向けて対ロシア海軍用急ピッチで造られと言われている。明治38年1905年倉橋島の南を震源として芸予地震が起こるが砲台被害あったか不明。後に国防方針変更要塞砲射程距離の向上、第一次世界大戦航空機登場したことにより、既存要塞整理が行われて新たに豊予要塞ができ、大正13年1924年)芸予要塞は一度用いられないまま廃止となった施設はのち毒ガス保管所など改築されたものも含め遺構として現在も残る。 この島は昭和初期地図から消された島」であった。現在一般的には陸軍毒ガス工場があったため機密性から秘匿され当時一般向け地図においてこの一帯空白地域として扱われと言われているが、実際にそれより古い明治・大正時代から芸予要塞司令部による検閲入っており、地図では要塞秘匿のため来島海峡からこの島付近一帯まで赤く塗り潰されていた。なお、昭和7年1932年時点での軍事極秘理由は「呉要塞近傍」であるが、呉要塞とは陸軍広島湾要塞旧称でこの時点廃止され海軍呉鎮守府移管されていることから、海軍検閲していたことになる。 @media all and (max-width:720px){body.skin-minerva .mw-parser-output div.mw-graph{min-width:auto!important;max-width:100%;overflow-x:auto;overflow-y:visible}}.mw-parser-output .mw-graph-img{width:inherit;height:inherit} [全画面表示] 大久野島のみではなく周辺一帯消していた。

※この「芸予要塞」の解説は、「大久野島」の解説の一部です。
「芸予要塞」を含む「大久野島」の記事については、「大久野島」の概要を参照ください。

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