豊予要塞とは? わかりやすく解説

豊予要塞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/03 20:53 UTC 版)

豊予要塞(ほうよようさい)は、豊予海峡の防備のため設置された大日本帝国陸軍の二等要塞である。


注釈

  1. ^ a b c d e 地元では丹賀砲台と通称。
  2. ^ 探照灯格納庫。
  3. ^ a b 豊予要塞砲台用・九州系要塞群の総予備用としての弾薬庫。佐賀関の軍用桟橋と各火薬庫の間には手押し軽便鉄道を敷設し、迅速な運搬に備えていた。無煙薬用火薬庫/3個(洞窟式)・未填薬弾丸庫/6個・有煙薬用火薬庫/4個の他に清涼弾薬庫・木造倉庫・薬莢庫・監守衛舎・衛兵所等を備えた規模の大きな弾薬庫だったようで、終戦時には約1,000トンの弾薬類が格納されていたらしい。
  4. ^ 北満へ転用のため。
  5. ^ 北満へ転用のため撤去したが、南方作戦に使用を考慮し小倉陸軍兵器補給廠で保管。
  6. ^ この時、高島第1砲台の斯加式9cm速射カノン 2門は倉庫に分解格納されていたため、予備兵器の38式野砲 2門を臨時に設置した。
  7. ^ 2コ大隊6中隊編成。定員約700名。
  8. ^ 準戦備下令後、倉庫に格納されていた斯加式9cm速射カノン 2門を高島第1砲台の既設の砲床に組み立て、それまで臨時に設置していた予備兵器の38式野砲 2門は佐田岬に撤去した。
  9. ^ 丹賀砲台廃砲台となり、昭和17年春、津軽要塞より7年式15cmカノン 2門、伊良湖演習場より7年式15cmカノン 2門、小倉補給廠より38式12cm榴弾砲 4門の転用し受け、陣地偵察の結果、鶴見崎に装備することに決定。
  10. ^ a b 急遽、鶴見崎砲台観測所・西部軍情報隊 付近に、近隣町村人を連日600余人を徴用動員して建築。7年式15cmカノン 4門を配置して、鶴見崎第1砲台とした。
  11. ^ a b 鶴見崎丹賀砲台 付近に、38式12cm榴弾砲 4門・20mm機関砲 2門 を配備して鶴見崎第2砲台とした。
  12. ^ 2017年4月、伊方町によって第4砲台の1つが観光用に整備された。穹窖砲台内にはレプリカの三八式十二糎榴弾砲が設置された。また佐田岬灯台を望む展望台や「永遠(とわ)の灯」と呼ばれる灯台を東側から望むモニュメントが作られた。灯台からは三崎漁協の旧蓄養池を経由して御籠島に至る長さ200mの歩道が新たに整備された。第4砲台に続く洞穴も、元々は素掘りであったが、崩落防止のためにコンクリートで補強され見学できるようになった。

出典

  1. ^ 丹賀砲台園地”. 佐伯市. 2017年8月25日閲覧。
  2. ^ 豊予要塞”. 臼杵市 (2014年1月1日). 2017年8月25日閲覧。
  3. ^ a b 歴史群像シリーズ『日本の要塞』、181頁
  4. ^ 突貫工事 負の歴史(眠る砲台跡 佐田岬半島から:1)/愛媛 朝日新聞 1999年8月15日 大阪地方版/愛媛 29頁 愛媛 写図有 (全1,386字)
  5. ^ a b 三重野勝人「戦跡『豊予要塞』の実像を探る」『大分縣地方史』第181号、大分県地方史研究会、2001年3月、24-41頁、NAID 120002739997 
    三重野勝人「戦跡「豊予要塞」の実像を探る」『別府史談』第23号、別府史談会、2010年3月、37-50頁、NAID 120003558576 
  6. ^ 忠魂碑 犠牲者の名刻む(眠る砲台跡 佐田岬半島から:6)/愛媛 朝日新聞 1999年8月21日 大阪地方版/愛媛 29頁 愛媛 写図有 (全727字)
  7. ^ 『官報』第1683号、昭和7年8月9日。
  8. ^ 『官報』第2575号、昭和10年8月2日。
  9. ^ a b [情報ランド]戦跡、慰霊碑 2001年7月11日 読売新聞 東京朝刊 20頁 写有 (全6,889字)
  10. ^ 相良主殿「丹賀砲台の爆発 : 秘められた惨事の記録」『佐伯史談』第73号、佐伯史談会、1971年2月、9-13頁、NAID 120003646582 
    相良主殿「市外-追想記 : 丹賀砲台の爆発 : 丹賀砲台の爆発 : 秘められた惨事の記録」『別府史談』第23号、別府史談会、2010年3月、87-93頁、NAID 120003558580 


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