美作国分寺跡
美作国分寺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/27 22:16 UTC 版)
創建時の国分寺跡は、現在の国分寺の西方に隣接して立ち、寺域はほぼ2町四方とされる。伽藍配置は、南から南門・中門・金堂・講堂が直線上に立ち、中門と金堂は回廊で接続しその東南に塔が位置するという、典型的な国分寺式の配置である。また、講堂北方には別の礎石建物が確認されている。 出土品から推測される年代は、国分寺建立の詔からまもなくの造営、平安時代末の衰退と見られる。出土品の中でも特に、創建期の軒瓦の文様が平城宮朝堂院の瓦と似ていることが注目される。
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