米長との対局
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 05:21 UTC 版)
△米長 持ち駒 なし ▲ボンクラーズ 持ち駒 なし2手目 後手6二玉まで △米長 持ち駒 なし ▲ボンクラーズ 持ち駒 歩79手目 先手6六歩まで 2012年1月14日には名人経験者であり時の将棋連盟会長でもある米長邦雄永世棋聖と対戦し(第1回電王戦)、先手113手で勝利した。これはニコニコ生放送で配信され、好評を博した。対局は将棋会館で行われ、持ち時間は相互3時間、昼食休憩は1時間。会場の電源容量の都合から、ボンクラーズの消費電力は2800ワットに制限された。 2011年5月のコンピュータ将棋世界選手権を制したボンクラーズと米長が2012年1月14日に対局するとの発表があったのは、2011年10月6日のこと。米長が『週刊現代』誌上で、コンピュータと公式対局を行うのであれば、羽生善治なら対局料として7億8000万円を頂かねばならないが、この米長であれば1000万円で請け負うと言った旨の表を掲載しようとしたことによる。その表が発表される数日前に中央公論社前社長(当時)浅海保とドワンゴ会長川上量生の耳に留まり、電王戦が実現した。 60歳で現役を退き当時68歳となっていた米長に既に全盛期の棋力はなく、正座で対局を行う体力もなかったが、米長は自宅にパソコンを導入、ボンクラーズをインストールし、対策を研究する。また10月6日には振り駒で後手番と決まったため、より具体的な研究が行えた。この段階での対戦成績は早指しで米長は全く勝てず、持ち時間で1時間でならやや負け越す程度、3時間では3局指して1勝2敗と言った状態で、さらに若手棋士やタイトル保持者を自宅に招待してボンクラーズと指させてはみたものの、ほとんどは敗れてしまっていたと言う。米長は正攻法では勝てないことを悟った。コンピュータの苦手な序盤に大優勢を築き、そのまま逃げ切るよりない。 このため米長は「ボナンザ」開発者である保木邦仁の勧める、初手▲7六歩に対する△6二玉に着目する。これは定跡に無い手で、ボンクラーズのもつ膨大な序盤の定跡データを無効化できるかもしれないと言うのだ。さらにコンピュータは構想力が劣り、6二玉からの狙いを看破できず、金銀で6筋、7筋の位を張る米長陣を、金銀が上ずり玉飛が接近しており、自身が優勢と誤判断する。米長はこの筋を研究し、延べ300時間の準備の上で対局に臨んだ。 来る2012年1月14日、実戦でも米長は6二玉からの構想で、79手目までに6筋、7筋の位を取ったが、直後に米長に見落としが出て位を奪還されてしまう。その後は「人間と違い、ミスをしない」コンピュータであるボンクラーズが、勝利を収めることとなった。 局後の記者会見で米長は、△6二玉は最善手であったはずで、負けたのは単に私が弱かったからだと語った。米長の構想については羽生善治、谷川浩司、森下卓らトップ棋士も評価しているほか、複数のコンピュータ将棋開発者からも比較的良い評価を受けている。 また、ニコ生配信については、アンケートでは98%以上の視聴者がこの対局を好意的に捉えたと言う。
※この「米長との対局」の解説は、「Puella α」の解説の一部です。
「米長との対局」を含む「Puella α」の記事については、「Puella α」の概要を参照ください。
- 米長との対局のページへのリンク