筋肉番付
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TBS系列で1995年から2002年まで放送されたもので、ゴールデンタイム進出から打ち切りまでKONAMIがメインスポンサーとなっていたため、同社のグループのみでメディアミックスが行われていた。
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筋肉番付
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 13:50 UTC 版)
日本体育大学4年次生のときに『筋肉番付』で放送されていたバック転50m走のコーナーに出演。自身の隣には既に体操の現役を引退している兄の幸雄がおり、体操以外で兄弟で対決する初の競技となった。開始の合図とともに両者がバック転で走り始め、序盤は兄がリードするも30m付近で逆転し、そのまま逃げ切り10秒88のタイムで見事兄に勝利を果たした。 同番組で世間に名を知らしめるまでは「池谷幸雄の弟」と題してメディア等では扱われていたが、この番組での活躍を機に当時実況を担当していた古舘伊知郎が、今後紹介するときには弟としてではなく「池谷直樹」として呼ぶことを決意し、池谷にとって古舘は、自身の名を一躍広めた立役者である。その古舘とは池谷が2001年に結婚し披露宴を開催するときに古舘に招待状を渡し、仕事の都合上列席できないと思っていたが来てくれたエピソードを話している。また、その披露宴には同番組でパネラーを努めていた中山エミリも列席していたことを話した。
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筋肉番付
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1995年7月8日(7日深夜)から2002年5月4日までテレビ山口以外の系列局で放送。当初はテレビ高知もネットしていなかったが、途中から放送するようになった(2001年ごろより)。放送開始から2か月間は金曜深夜(土曜未明)に放送の30分番組だったが、1995年秋の改編で土曜ゴールデンタイムへ移動し、同時に60分番組になった。タイトルロゴはバーベル型で、1996年あたりに表記を「筋肉番付」から「筋番付肉」に変更した。 番組には毎回プロのスポーツ選手や一般からの参加者たちが出場し、スポーツをもとにしたさまざまな競技で体力と技術の限界に挑戦していた。内容は1995年4月からの『最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦』がベースで、ターゲットの全破壊などに成功すれば賞金を得られるシステムを採用した。それからは、新聞などに掲載される番組表や番組のオープニングで「今日、パーフェクト達成者が出る!!」と予告しておき、視聴者が結果をあらかじめ知っている状態で放送するという挑戦的な番組作りを行っていた。 ケイン・コスギの少林寺修行、大森晃(おさる)のムエタイ挑戦、松岡修造のテニス塾などのドキュメントも放送された。各競技でプロ選手が体力・技術の凄さを見せたり、一般参加者が運を味方にしたり、番組内競技が玩具化・ゲーム化されたりするなどした。 7年近くにわたって放送の人気番組となったものの、番組収録中に発生した出演者の事故により、番組は安全対策のために2002年5月4日放送分をもって休止し、同時に同タイトルでの放送を終了した。休止期間中にはつなぎ番組として『CDTVゴールド』と『ザ!激闘!大家族!!』が放送されていた。 現在[いつ?]は、アメリカ合衆国のケーブル・ネットワークG4 TVにおいて "Unbeatable Banzuke" のタイトルで放送されている。司会は、神田瀧夢が「カトウ・ケイ」の名で務めている。アメリカでは日本での放送と異なり、「HAND WALK」や「SUPER RIDER」などの9エリア走破系競技のみを取り上げている。また、同局で "Ninja Warrior" と題して放送されている『SASUKE』と同様に、日本語音声のまま英語の字幕を付けて放送するという手法を採っている。
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