第6次攻防戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 23:24 UTC 版)
10月9日午前0時20分、中共軍は新たに第114師隷下の第342団を投入して攻撃を開始した。中共軍は約1時間の攻撃準備射撃を実施し、395高地をはじめ、その左右の主抵抗線地域と後方の阻止陣地線地域に至るまで第28連隊の兵力配置場所のほぼ全域を、1,100発以上の砲弾で同時集中射撃した。これにより韓国軍は交戦前に死傷者が続出した。 主峰に配置された第28連隊第3大隊は、中共軍の砲撃が停止すると全火力を動員して最後阻止射撃を加え、砲兵は弾幕射撃を実施し、4.2インチ迫撃砲中隊と大隊の81ミリ迫撃砲中隊も加担した。395高地正面に1個大隊規模、高地東側の第28連隊第1大隊正面に2個中隊規模、西端の第30連隊第1大隊正面に1個中隊規模の兵力が投入され、これらは三方向からの波状攻撃を敢行したが、とくに395高地正面の部隊が執拗に攻撃を仕掛けてきた。第3大隊は手榴弾投擲戦の末陣地を固守した。この時、第30砲兵大隊は18門の砲を全て395高地北側の稜線に向けて時限信管による集中砲撃を加えて、395高地防衛に重要な役割を果たした。中共軍は約40分間の交戦で多数の死傷者を出して後退した。 第342団が後退すると、中共軍は前よりも激しい射撃を行い、1時間の落下弾数だけで1,780発に及び、国連軍砲兵もこれに対抗して制圧射撃を実施した。午前2時に砲撃は停止し、その5分後に中共軍が現れ、交戦が始まって1時間後の午前3時頃にさらに兵力を増員して395高地を集中的に攻撃した。これを受けて第28連隊第3大隊は支えきれず混乱に陥った状態で後退し、中共軍は395高地を越えて第28連隊第2大隊の地域にまで進出して突破口を拡大した。 第9師団、戦闘開始以来最大の危機を迎えることになり、中共軍の圧力は刻々と強化され、第28連隊第2大隊と第3大隊は無秩序に駅谷川に後退し、東側の第1大隊は陣地で白兵戦が展開され、西端の第30連隊も隣接大隊の後退により陣地を縮小した状態で苦戦していた。中共軍第342団は韓国軍の主抵抗線を突破して395高地南700メートル地点まで進出したが、砲撃と射撃によって駅谷川北の国連軍阻止線を突破することは出来なかった。第28連隊の戦況は極度に悪化し、第9師団は第29連隊を投入しなければならないと結論付け、10月9日午前7時付で「作戦命令第87号」を下した。 395高地の主抵抗線が突破されてから7時間後の9日午前10時に第29連隊は反撃を開始した。第3大隊を右に、第1大隊を左に配置し、395高地左右の稜線に進出させ、そこから挟撃した。連隊に配属された第53戦車中隊が中共軍の直射火器を制圧し、砲兵は中共軍側火力の2倍を上回る威力の砲撃を実施し、また第5空軍も攻撃開始後から10~30分間隔で連続出撃し、第9師団の提示した目標の中共軍火力を制圧した。第1大隊は中共軍の抵抗を掻い潜って午後3時5分頃に8合目の稜線まで進出した後、この日の真夜中まで4回にわたる突撃の末、主峰を奪還することに成功した。 第29連隊は、第1大隊と第3大隊を395高地左右の稜線と北斜面に配置して中共軍の反撃に備える一方、第30連隊第1大隊の陣地と接続して全面的に陣地を再調整した。 第9師団司令部では、金鐘五少将が戦闘地境線を再調整して配属関係を調整した「作戦指示68号」を下達した。10月10日午前0時30分時点で、第9師団主抵抗線右第一線に第51連隊、中央右第一線に第30連隊1個大隊、中央左第一線に第28連隊2個大隊、主峰を含む左第一線に第29連隊と第30連隊1個大隊を配置して中共軍の逆襲に備えた。
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