第2期フェラーリ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 17:43 UTC 版)
「ゲルハルト・ベルガー」の記事における「第2期フェラーリ時代」の解説
1993年 低迷期にあえぐフェラーリに4年ぶりに復帰するが、不可解な場面で話題に挙がることの多いシーズンとなる。第2戦ブラジルGPで予選13位でありながらも好スタートを切るが、マイケル・アンドレッティと大クラッシュしてまい、0周リタイヤ、第6戦モナコGPでは、チームメイトのジャン・アレジを半ば突き飛ばすように強引に追い抜き、その後デイモン・ヒルにも強引な追い抜きを試みた結果、接触しリタイヤ。第13戦イタリアGP予選では、セッション終了後にもかかわらずアタックを続けアレジと絡みかけ、避けたもののスピンを起こし大クラッシュ。第14戦ポルトガルGPでは、アクティブサスペンションのトラブルから、ピットアウト直後に突然マシンのバランスを崩し、コースを横断するかたちでクラッシュしリタイヤ(この際、直線でフルスロットルだったデレック・ワーウィックを巻き込みかけている)。 第15戦日本GP予選で一時暫定PPに躍り出るなどの見せ場もあったが、シーズンを通してはアレジの後塵を拝すことが多く、総獲得ポイントは12ポイントに留まった(ランキング8位)。 1994年 第9戦ドイツGPで低迷していたフェラーリに4年ぶりの優勝をポールトゥーウィンでもたらし、再び人々の記憶に刻まれることとなる(フジテレビF1中継では、このGPの実況を担当していた塩原恒夫が、「2度フェラーリを復活させた男」と表現した)。ドイツGPを含め予選では2PP、決勝では表彰台6回(1勝・2位3回・3位2回)などを記録、自身3度目のドライバーズ・ランキング3位となった。 また、コース外での活動も注力した。第3戦サンマリノGPにて、予選2日目にローランド・ラッツェンバーガー、翌日の決勝日にセナが事故死したことを受け、2週間後の第4戦モナコGPにて、それまで有名無実化していたドライバーによる組合GPDA(グランプリ・ドライバーズ・アソシエーション)を復活させ、その重鎮として、安全面についてFIAとの間にドライバー側からも積極的に話し合いを持つことを提唱した。 直後のフリー走行にて、ラッツェンバーガー同様に同胞のカール・ヴェンドリンガーが、クラッシュにより一時意識不明の重体となる程の重傷を負い、その後も事故が相次ぐシーズンとなった。F1界は大きな衝撃を受け、ベルガー自身も精神的ショックから引退が噂されたが、その後も今後の道筋を説き実践した。 1995年 開幕戦ブラジルGPにて一旦1位のシューマッハと2位のデビッド・クルサードが失格とされ、3位に入ったベルガーが優勝とされたが、その後取り消し。それでも第10戦ハンガリーGPまでは3位表彰台6回など7回の入賞と安定した成績を残し、第11戦ベルギーGPではこの年唯一のPPをマークした。しかしこのGPでリタイヤに終わると以後は成績が下降、結局この年は未勝利に終わった(ランキング6位)。 シーズン終了後、当時フェラーリでチームメイトだったアレジと2人一緒にベネトンに移籍。この時ベネトンからミハエル・シューマッハが入れ替わりでフェラーリに移籍したため「2対1の交換トレード」として話題になった。
※この「第2期フェラーリ時代」の解説は、「ゲルハルト・ベルガー」の解説の一部です。
「第2期フェラーリ時代」を含む「ゲルハルト・ベルガー」の記事については、「ゲルハルト・ベルガー」の概要を参照ください。
第2期フェラーリ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 10:12 UTC 版)
「ホセ・フロイラン・ゴンザレス」の記事における「第2期フェラーリ時代」の解説
1954年は、フェラーリに舞い戻り参戦。復帰初戦となる開幕戦アルゼンチングランプリでは、地元で予選2位からファステストラップを記録し、3位表彰台を獲得している。第5戦イギリスグランプリでは、予選2位から優勝。3年前に初勝利の舞台となったシルバーストン・サーキットにおいて、自身2勝目を挙げた。 しかし第6戦ドイツグランプリにおいては、予選中に同胞のオノフレ・マリモンが事故死。決勝ではショックから集中力を切らし、 マイク・ホーソーンにマシンを譲りレースを終える一幕もあった(結果的には2位)。しかし、続く第7戦スイスグランプリではポールポジションを獲得(決勝は、ハンス・ヘルマンとのシェアドライブで2位)。この年は、最終的にランキング3位となった。 1955年は、地元である開幕戦アルゼンチングランプリのみの出走となる。予選で自身3度目のポールポジションを獲得したが、酷暑の中で体力を消耗し交代。最終的には、トランティニアン、ジュゼッペ・ファリーナとの3者でのシェアドライブながら、2位となっている。
※この「第2期フェラーリ時代」の解説は、「ホセ・フロイラン・ゴンザレス」の解説の一部です。
「第2期フェラーリ時代」を含む「ホセ・フロイラン・ゴンザレス」の記事については、「ホセ・フロイラン・ゴンザレス」の概要を参照ください。
- 第2期フェラーリ時代のページへのリンク