第二次大戦期まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 07:23 UTC 版)
「不思議の国のアリスの挿絵」の記事における「第二次大戦期まで」の解説
当時の著作権法の規定によって、イギリスでは1907年まで『不思議の国のアリス』の著作権が存在したが、しかしアメリカでは自由にイギリスの本を出版することができた。このためテニエル以外の挿絵による『アリス』はイギリスより前にアメリカ合衆国で出版されており、1907年までに少なくとも4人の挿絵画家が『アリス』に挿絵をつけている。そのうちの一人ペーター・ニューエル(英語版)(1901年刊)は、テニエルとは違いキャラクターを写実的で表情豊かに描いており、近年になって再評価をうけている。またブランチ・マクマナス(英語版)によるもの(1896年)は1907年にイギリスでも出版された。 1907年に作品の著作権が切れると、イギリスの出版社はいっせいに新しい挿絵による『不思議の国のアリス』を出版した。1907年には8種、翌8年には7種の新たな挿絵本が出され、以後ほぼ毎年途切れることなく新しい挿絵による『アリス』が出版されている。1907年に出たものでは、特にアーサー・ラッカムのものとチャールズ・ロビンソン(英語版)のものが傑出している。挿絵画家は著者と召使ではなくパートナーであるべきだと主張したラッカムは、茶色と灰色を基調とした水彩画とペン画でまったく独自の『アリス』を描いた。ラッカムによる挿絵はデッサンや画面構成などもテニエルに比してすぐれており、アリスの肢体もずっとしなやかに描かれ、現在でもテニエルの挿絵に次いで人気が高い。しかし出版当時はそれまでの作品のイメージを損なったという悪評にさらされ、そのためにラッカムは続編『鏡の国のアリス』への挿絵の仕事を頑として受けなかった。 チャールズ・ロビンソンは、ペン画と水彩画ですべてのページに挿絵をつけた。ロビンソンはテニエルが描いたものではなく、実在のアリス・リデルの姿をモデルにしておかっぱ頭のアリスを描いた最初の画家であり、以後『アリス』の挿絵は、テニエルの描いた金髪のアリスと並んでアリス・リデル風のアリスもしばしば描かれている。なおチャールズの実兄トマス・ヒース・ロビンソン(英語版)も1908年にアリスの挿絵本を出しており、こちらはオーブリー・ビアズリーの影響を受けつつ、子供向けに白を基調としたモノクロ画となっている。 1907年にはまた、当時の理想の子供像を反映したものかブロンドの少女人形のようにアリスを描いたベッシー・ガットマン(英語版)による挿絵本がアメリカ合衆国で出版されている。1910年にはのちにグリーティングカードの絵でも有名になるメイベル・アトウェル(英語版)が、独特の丸っこいえくぼ顔のキャラクターで挿絵を描いた。そのほか当時アメリカ合衆国でボビィソクサー(英語版)と呼ばれた、ボビィソックス(英語版)をはいて芸能人の追っかけをする10代少女の流行を反映させたウィリー・ポガニー(英語版)(1929年刊)など、作家の個性や流行、時代背景などによって様々な種類の挿絵本が、しばしば続編の『鏡の国のアリス』と併せて作られていった。1930年にはマリー・ローランサンによる挿絵本も出ている。これは淡い色彩を使ったリトグラフによるもので、物語の挿絵というよりはアリスのイメージ画に近いものである。 1899年(明治32年)に初めて『アリス』が翻訳された日本では、欧米のイラストレーションを学んだ岡本帰一、清水良雄などによる挿絵本が大正時代に現われている。
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