マリー・ローランサン
マリー・ローランサン
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マリー・ローランサン(Marie Laurencin, 1883年10月31日 - 1956年6月8日)は、20世紀前半に活動したフランスの女性画家・彫刻家である。
注
- ^ シャブロル通り
- ^ アカデミー・ランベール(フランス語)の同期にブラックの他、フランソワ・ピカビア、ジョルジュ・ルパプもおり、ブラックとルパプはローランサンの画才に気づくと、陶芸の絵付け師の見習いをやめて絵に専心するよう勧めている[5]。ローランサンはこの頃にすでに自画像を描いており[5]、終生、自分を描いた[6]。
- ^ Glout, Flora. Marie Laurencin, Paris:Mercure de France, 1987, p.101。山田[7]によると著者はローランサンの親友の娘。
- ^ 山田はアポリネールが書き残したものを引き[8]、ピカソがローランサンをアポリネールに引き合わせたとしている[7]。
- ^ 背の高い偉丈夫で、ローランサンは細身の華奢な体形だったが、アンリ・ルソーは彼女を太目で大柄な女性として2回も描いている
- ^ 山田によるとローランサンはキュビスムには参加せず[9]、当人も生前、「私が立体派にならなかったとしても、それはつまり、なろうにもなれなかったからです。そのちからがなかったわけですが、彼らの探求には今でも情熱をかきたてられるのです[10][11]」と語っているという。
- ^ 1作目はボルティモア美術館収蔵、別題『招待客』(1908年)、カンヴァスに油彩、64×76 cm[12]。2作目はポンピドゥー・センター収蔵、別題『田舎の集い』または『高貴な仲間』、『友人たちの会合』(1909年)、カンヴァスに油彩、130×194 cm[13]。
- ^ アポリネールの詩「ミラボー橋」(邦題)の初出は「ソワレ・ド・パリ」(1912年2月)、再録は『アルコール』(1913年[15])[16]。日本語訳はギョーム・アポリネール 著、堀口大學 訳「ミラボー橋」 I、青土社〈アポリネール全集〉、1979年、68-69頁。。
- ^ マリー・ローランサン『マドモアゼル・シャネルの肖像』1923年、キャンバスに油彩。オランジュリー美術館[19]。
- ^ フランス文化紹介の功績により芸術文化勲章シュヴァリエを受勲(2005年)。
出典
- ^ 電子版のアーカイブより出生証明書第10/4822/1883号。付記:1914年 Otto von Wätjen と結婚。(2012年5月9日閲覧。)
- ^ アーカイブ date 2023-8-07
- ^ Pilcher, Alex (2017). A Queer Little History of Art. London: Tate Publishing. pp. 37. ISBN 978-1-84976-503-9
- ^ アンリ=ピエール・ロシェ "Marie Laurencin - Portrait plaisant", Les Cahiers d'aujourd'hui第10号、パリ、1922年、p.217。
- ^ a b André Beucler "Dans l'Atelier de Marie Laurencin" Le Haut-parleur、モントリオール、1950年11月5日、p.4。
- ^ 『Autoportrait』《自画像》1904年、板に油彩、40×30cm、マリー・ローランサン美術館、『Autoportrait』《自画像》1908年、カンヴァスに油彩、41.4× 33.4cm、マリー・ローランサン美術館(山田 2018, p. 380)。
- ^ a b 山田 2018, p. 378.
- ^ Apollinaire, Guillaume (1916). Le poète assassiné. Paris: Bibliothèque des Curieux. pp. 61-62. LCCN 39-23235. NCID BA72574315
- ^ マルシェッソー 1984, 「序文」.
- ^ ローランサン 1956, p. 22.
- ^ 大島 1977, p. 98.
- ^ a b 山田 2018, p. 378, 図1.
- ^ a b 山田 2018, p. 378, 図2.
- ^ アポリネール逮捕history.com 2023年8月7日閲覧
- ^ Apollinainaire, Guillaume (1920) [1913] (フランス語). Alcools. Paris: Nouvelle revue française. pp. 16-17
- ^ 山田 2018, p. 379.
- ^ a b “その2 | マリー・ローランサンとモード”. Bunkamura. スペシャル | マリー・ローランサン美術館館長が語る、ローランサン作品の魅力. 東急文化村 (2022年10月18日). 2023年6月2日閲覧。
- ^ 原題:「Drie vrouwen rond een prentstandaard」。マリー・ローランサン原画によるポスター『ポスター台を囲む三人の女性』(仮題)。パリ、サンジェルマン通りの店の宣伝用。台帳番号:RP-P-2015-26-1574、1937年。紙に印刷、外寸:高さ494 mm × 幅324 mm。S・エメリンク寄贈、アムステルダム、2000年遺贈。収蔵印に修正あり、Lugt 2228. 取り消し、Lugt 4779。印刷所不明、出版社:Chambre syndicale des éditeurs et Marchands d'estampes et dessins anciens et modernes(仮訳:パリ:商工会議所出版社シンジケート、歴史的作品、現代の版画と図面取り扱い)
- ^ “その2 | マリー・ローランサンとモード”. Bunkamura. スペシャル | マリー・ローランサン美術館館長が語る、ローランサン作品の魅力. 東急文化村 (2022年10月18日). 2023年6月2日閲覧。
- ^ a b c d “その1 | マリー・ローランサンとモード”. Bunkamura. スペシャル | マリー・ローランサン美術館館長が語る、ローランサン作品の魅力. 東急文化村 (2022年10月18日). 2023年6月2日閲覧。
- ^ “マリー・ローランサン美術館、9月いっぱいで閉館”. インターネットミュージアム(丹青社). (2011年9月1日) 2017年4月3日閲覧。]
- ^ “マリー・ローランサン美術館”. マリー・ローランサン美術館. 2023年5月9日閲覧。
- ^ “マリー・ローランサンとモード - Bunkamura ザ・ミュージアム”. 美術展ナビ. 2023年6月1日閲覧。
- ^ 『Apollinaire et ses amis (première version) ou Les invités』1908年。ジョゼ・ピエール『マリー・ローランサン』阿部良雄訳、美術公論舎、1991年 (山田 2018, p. 378)。
- ^ (フランス語) Apollinaire et ses amis (deuxième version) ou Une réunion à la campagne ou: La noble compagnie ou Le rendez-vous des amis. Centre Pompidou. (1909) 2018年7月24日閲覧。
- ^ ポンピドゥー・センターの出版物『Apollinaire et ses amis (deuxième version) ou Une réunion à la campagne ou: La noble compagnie ou Le rendez-vous des amis』参照[25]。
- ^ 山田、加藤 2020, p. 477.
- ^ “Bruce Hainley on the art of Marie Laurencin” (英語). www.artforum.com. 2022年11月15日閲覧。
- 1 マリー・ローランサンとは
- 2 マリー・ローランサンの概要
- 3 代表作
- 4 資料
- 5 関連項目
固有名詞の分類
美術家 | アンディー・ゴールズワージー ロヒール・ファン・デル・ウェイデン マリー・ローランサン 平山郁夫 エルンスト・バルラハ |
フランスの画家 | ニコラ・ド・スタール フィリップ・パロット マリー・ローランサン レオン・ボナ テオドール・ジェリコー |
フランスの彫刻家 | アンリ・ブシャール マリ・バシュキルツェフ マリー・ローランサン フランソワ・ポンポン フレデリク・バルトルディ |
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