第三海上護衛隊とは? わかりやすく解説

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第三海上護衛隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 22:00 UTC 版)

海上護衛隊」の記事における「第三海上護衛隊」の解説

1944年昭和19年5月20日東京湾大阪湾紀伊水道航路船団護衛担当するために新編されたのが第三海上護衛隊である。伊勢湾部隊指揮官平塚四郎大佐/伊勢防備隊司令成生特設掃海艇1隻、特駆7隻、駆特3隻、特敷高千穂丸曳船1隻)、熊野灘部隊指揮官大野大佐/駒橋艦長駒橋、特掃4隻、駆特3隻、哨戒監視艇1隻)、紀州部隊指揮官鬼塚武二大佐/九〇三空串本派遣隊指揮官:特駆2隻、特掃5隻、駆特1隻、掃特2隻、海防艦50号、掃海艇27号、魚雷艇6隻)、航空部隊(九〇三空串本浜島大井小松島各派遣隊)を指揮兵力に置く。 東京湾紀伊水道本州太平洋側における海上輸送大動脈であり、大戦序盤の頃から散発的に潜水艦被害出ていた航路であった昭和17年5月水上機母艦瑞穂沈没など)。従来横須賀鎮守府大阪警備府管轄していたが、相互連絡不備などの不都合続出した。これを解消するため、横須賀鎮守府大阪警備府舞鶴鎮守府部隊から兵力抽出する形で設置され部隊であった横須賀鎮守府司令長官麾下編入)。だが護衛艦艇が極端に少なく串本海軍航空隊編入見送られたため航空支援得られなかった。大規模に対潜機敷設されていた三陸沖航路のような厳重な防御も困難であった被害続出する一方、満足な成果得られなかった。同年11月29日には大和型戦艦改造空母信濃紀伊半島潮岬沖で米潜水艦アーチャーフィッシュ)に撃沈され、三海護の所属部隊掃蕩おこなった成果はなかった。 1945年昭和20年2月下旬16日17日25日)、米軍機部隊関東地方襲来により、本州太平洋沿岸行動中の艦艇監視艇隊を含む)は大きな被害受けた4月10日、第三海上護衛隊は本土決戦において伊勢湾水際防御担当する第四特攻戦隊横須賀鎮守府部隊)に改編された。4月15日新編された時の第四特攻戦隊兵力は、第13突撃隊伊勢防備隊測量艦駒橋、第26掃海隊、海防艦3隻、第112駆潜隊駆潜艇3隻であった

※この「第三海上護衛隊」の解説は、「海上護衛隊」の解説の一部です。
「第三海上護衛隊」を含む「海上護衛隊」の記事については、「海上護衛隊」の概要を参照ください。

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