福博電気軌道設立とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 福博電気軌道設立の意味・解説 

福博電気軌道設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 00:40 UTC 版)

福博電気軌道」の記事における「福博電気軌道設立」の解説

1897年明治30年)、福岡市では九州3番目の電気供給事業者として博多電灯という電灯会社開業し電気利用始まった。また1900年明治33年)には大分県にて九州初の電気鉄道事業者である豊州電気鉄道開業したこうした中、1900年代になると福岡市でも電気鉄道路面電車事業起業への動き始まった計画中心となったのは当時博多電灯取締役であった太田清蔵らで、彼らは1902年明治35年1月会社設立願い提出した当初電動力によらない馬車鉄道予定であったが、後に電気鉄道へと変更されている。間もなく会社設立認可があったものの、資金乏しく事業経験もないことから会社設立至らず計画立ち消えとなったその後1906年明治39年)になり、今度福岡市会にて市営電車事業構想浮上し12月市営電車事業出願決議された。だが当時福岡市歳入に不安があり、なおかつ複数新事業計画抱えていたため資金不足であった。その一方で日露戦争後企業ブーム背景に、市内馬車鉄道電気鉄道敷設する民間計画相次いで出願されていたことから、電車事業実現のため市会側では適当な条件の下に民間側へ譲歩し諸計画合同させて新会社協定する方針を採った。 民間会社設立発起人総代には市側の要請福澤桃介松永安左エ門就任した福澤東京実業家で、日露戦争前後株式市場で財を成し当時広滝水力電気佐賀県)をはじめ電気事業への投資広げつつあった。松永福澤慶應義塾時代後輩で、この時期には関西にて北海道九州石炭を扱う石炭商「福松商会」を開いていた。福澤松永交詢社関係者らを集め会社設立願い当局提出し、さらに市との間に報償契約結んで市の出願取り下げさせた。日露戦争後不況影響会社設立準備一時遅滞したが、1908年明治41年12月発起人22に対して軌道敷設の特許下り、翌1909年明治42年になって準備が整うに至る。そして同年8月31日、「福博電気軌道株式会社」の創立総会開かれ会社成立した設立をみた福博電気軌道資本金60万円社長に福澤桃介専務取締役には松永安左エ門それぞれ就任しその他の役員には太田清蔵博多電灯社長山口恒太郎福岡人物と、愛知県大阪府人物が名を列ねた。このうち会社主導するのは松永で、以後1920年代に入るまで福岡拠点とすることとなった

※この「福博電気軌道設立」の解説は、「福博電気軌道」の解説の一部です。
「福博電気軌道設立」を含む「福博電気軌道」の記事については、「福博電気軌道」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「福博電気軌道設立」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「福博電気軌道設立」の関連用語

福博電気軌道設立のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



福博電気軌道設立のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの福博電気軌道 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS