福博電車株式会社への統合
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「福博電気軌道」の記事における「福博電車株式会社への統合」の解説
博多電気軌道から東邦電力への一部路線譲渡が実行できた背景には、東邦電力と九州水力電気の間に生じていた供給事業をめぐる紛争が解決し、1920年代半ばより両社の間に協調関係が成立しつつあったという事情が存在した。両社間の関係強化の結果、長年にわたり利便性向上の妨げとなっていた電車事業分立の解消が具体化され、1934年(昭和9年)に新会社設立による電車事業一元化が決定するに至った。 こうして1934年10月26日、路面電車一元化の受け皿として福博電車株式会社が設立され、同年11月1日付で東邦電力の軌道事業と博多電気軌道の軌道事業(営業キロ17.2キロメートル)・バス事業が新会社へ移管された。新会社福博電車の資本金は330万円。新会社への移行は東邦電力と博多電気軌道の共同現物出資によるもので、出資額は東邦電力側が240万3015円、博多電気軌道側が89万1278円とされた。 その後福博電車株式会社は太平洋戦争下における福岡県内の交通統合に参加し、1942年(昭和17年)9月1日付で九州鉄道・博多湾鉄道汽船・筑前参宮鉄道とともに九州電気軌道へと合併され、西日本鉄道(西鉄)となった。以後福博電車の路線は西鉄の「福岡市内線」となったが、1979年(昭和54年)に全線廃止となり現存しない。
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福博電車株式会社への統合
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「博多電気軌道」の記事における「福博電車株式会社への統合」の解説
博多電気軌道から東邦電力への一部路線譲渡が実行できた背景には、九州水力電気と東邦電力の間に生じていた供給事業をめぐる紛争が解決し、1920年代半ばより両社の間に協調関係が成立しつつあったという事情が存在した。両社間の関係強化の結果、長年にわたり利便性向上の妨げとなっていた電車事業分立の解消が具体化され、1934年(昭和9年)に新会社設立による電車事業一元化が決定するに至った。 こうして1934年10月26日、路面電車一元化の受け皿として福博電車株式会社が設立され、同年11月1日付で博多電気軌道の軌道事業・バス事業と東邦電力の軌道事業(営業キロ9.3キロメートル)が新会社へ移管された。新会社福博電車の資本金は330万円。新会社への移行は博多電気軌道と東邦電力の共同現物出資によるもので、出資額は博多電気軌道側が89万1278円、東邦電力側が240万3015円とされた。 その後福博電車株式会社は太平洋戦争下における福岡県内の交通統合に参加し、1942年(昭和17年)9月1日付で九州鉄道・博多湾鉄道汽船・筑前参宮鉄道とともに九州電気軌道へと合併され、西日本鉄道(西鉄)となった。以後福博電車の路線は西鉄の「福岡市内線」となったが、1979年(昭和54年)に全線廃止となり現存しない。
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