福北連携
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 16:22 UTC 版)
「北九州・福岡大都市圏」の記事における「福北連携」の解説
かつて福岡市と北九州市は犬猿の仲とされ、政財界は1995年まで断交状態だった。福北連携は1995年4月、福岡地所の榎本一彦とゼンリンの大迫忍が、「両市の経営者を集めた梅鶯会(ばいおう会)を立ち上げ、経済面での両市の連携を唱えた」(松下政経塾)ことに起こる。 榎本と大迫の主張は「経済のグローバル化の影響を受ける現在、200万人規模の経済圏では太刀打ちできない、福岡と北九州を合わせて香港やシンガポールと同規模の400万 - 500万人規模の経済圏になって初めてアジアの諸都市と競争できる」(同上)。 1999年5月からは福岡・北九州両市長の定期会談が開始された。両市長は、福北連携の理念をまとめ、企画・財政・保健福祉・環境・情報管理・国際交流の7分野で研究会が発足し、1つの都市圏あるいは経済圏と見なして、日本国内のみならずアジアに対しても競争力のある地域となれるよう試みられている。当初、両市長による会談は半年に1回開催されていたが徐々に頻度が減少し、12回目となる2011年を最後に開催されていない。 福北連携によって以下のような事業等が実施された。 JR筑豊本線と篠栗線を電化して福北ゆたか線へ。 アビスパ福岡と福岡新都心開発へゼンリンが出資。見返りに九州電力、福岡銀行が北九州都心開発へ出資。 北九州市長と福岡市長が定期会談の場を設ける。 スーパー中枢港湾に関して、関門港と博多港が連携して申請することで合意。 北部福岡緊急連絡管事業(福北導水)で合意。 北九州空港を拠点に運航を開始したスターフライヤーが福岡空港にも就航。
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