博多湾鉄道汽船
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博多湾鉄道汽船(はかたわんてつどうきせん)は、福岡県にあった陸運・海運業者。鉄道の敷設目的で設立され、当初は博多湾鉄道(はかたわんてつどう)を名乗る。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『株式会社年鑑. 昭和17年版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 岩谷は沿線に鉱区権を所有していた
- ^ 『人事興信録. 10版(昭和9年) 上卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「私設鉄道株式会社免許状等下付」『官報』1900年6月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「仮免許状下付」『官報』1904年1月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「運輸開始」『官報』1904年1月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「運輸開始」『官報』1905年6月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「運輸開始」『官報』1906年1月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「仮免状失効」『官報』1906年1月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「仮免許状下付」『官報』1907年11月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「本免許状下付」『官報』1908年4月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「運輸開始並停車場新設」『官報』1909年8月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年3月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道指定」『官報』1918年3月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1919年7月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道敷設免許状下付」『官報』1919年10月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1921年10月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 認可1923年12月8日『鉄道省鉄道統計資料. 大正12年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1924年5月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年7月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許一部取消」『官報』1935年6月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道起業廃止」『官報』1936年1月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軌道運輸営業廃止」『官報』1939年8月3日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 契約は九州鉄道管理局長との間で博多湾鉄道所有の蒸気機関車3両と蒸気動車2両を鉄道院10形蒸気機関車5両と軌条に交換。「博多湾鉄道の機関車」74頁受入、譲渡『鉄道院年報. 明治43年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「博多湾鉄道の機関車」76頁
- ^ 『客車略図 上巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 1 博多湾鉄道汽船とは
- 2 博多湾鉄道汽船の概要
- 3 保有路線
- 4 脚注
博多湾鉄道汽船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 08:08 UTC 版)
今の西鉄貝塚線やJR香椎線を建設した博多湾鉄道汽船の太田清蔵社長兼貴族院議員が、福岡から飯塚への路線延伸を構想し、その資金を得るため現在の香椎線を鉄道省へ売却する要請を出した。政友会幹部の富安保太郎貴族院議員を通じ、50万円の報酬を収受する条件で1928年(昭和3年)1月に買収案を閣議決定させた。その際、太田より富安経由で小川に9.5万円が渡されたが、これが疑惑の対象となった。
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