眼鏡の発明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 21:48 UTC 版)
一対のレンズを連結した構造の、眼前で使うタイプの眼鏡(英: pair of eyglasses:p30fn75 / 英: pair of spectacles:4, 伊: occhiali:207)の発明者が誰なのかは諸説あり、精力的に研究されてきたが未解明である。 発明の時期については、1286年頃であると推定されている。これは1306年2月23日水曜日朝:29にドミニコ会の修道士フラ・ジョルダーノ・ダ・リヴァルトがフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェーラ教会において行なった説教で、眼鏡について「この20年以内の発明である」「発明者と話をしたことがある」:34と述べたという記録からの逆算である:29。しかし肝心の発明者の名前は言及されていない。 いっぽう、ジョルダーノと同じ修道院の同僚であったドミニコ会修道士のフラ・アレッサンドロ・デッラ・スピナ(伊: Alessandro della Spina、享年推定1313年頃:42)に関して、「スピナは一度見たものはなんでも複製して作る技能を持っていた。眼鏡は別の誰かの発明したものだが、その人物はそれを秘密にした。いっぽうスピナは眼鏡を製造して皆に分け与えた」という記録がある:36。このスピナ本人が眼鏡の発明者であるとする説をピサ大学の医学の教授だったフランチェスコ・レディが1678年に提唱した:25が、後にレディによる捏造である:37として否定された。 フィレンツェのSalvino degli Armati(英語版)が眼鏡の発明者だとする説が1684年から現れた。18世紀には異論も出たが、Salvinoの実在を信じる者も多く、19世紀になって「Salvinoの墓地跡地」に碑文や胸像が据えられた:195。20世紀になって本説は捏造であり、発明者とされる人物は実在しないとして否定された:192。 スピナに眼鏡を見せた者は、ヘンリーというロジャーベーコンの友人であったという説も出たが、これも否定されている:198。 マルコポーロの「東方見聞録」に中国で老人が書物を読むのにレンズを使用することが一般化していると書かれていると主張されることがあるが、そのような記述は実際の『東方見聞録』には存在しない。 初期の眼鏡は凸レンズを使っており、遠視と老視を矯正できたが、もっぱら老眼に使われた。近視を凹レンズで矯正できることを発見したのは、ニコラウス・クザーヌス(1401年 - 1464年)とされている[要出典]。理論的に凸レンズや凹レンズによる視力矯正を説明したのはヨハネス・ケプラーの光学や天文学の論文であり、1604年のことである。 ちなみに絵に眼鏡が描かれたのは、1352年にTomaso da Modenaの作品が最初で、枢機卿 Hugh de Provenceが写字室で書物を読んでいる姿の肖像画である:205。また、1403年に作られたドイツ バート・ヴィルドゥンゲン の教会の祭壇飾りに眼鏡が描かれている。中世ヨーロッパにおいて、眼鏡は知識と教養の象徴であり、聖人の肖像には、たとえ眼鏡発明以前の人物であっても、眼鏡がしばしば描き入れられた(アウグスティヌスなど)。
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