真の霊性とは? わかりやすく解説

真の霊性

作者アントニー・デ・メロ

収載図書小鳥の歌―とても短い123物語
出版社サンマーク出版
刊行年月2000.8
シリーズ名サンマーク文庫


真の霊性

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 02:45 UTC 版)

霊性 (キリスト教)」の記事における「真の霊性」の解説

霊性は、聖霊によって生み出され、肉とは対立するとされる。 なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。これは律法要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである。なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法従わず、否、従い得ないのであるまた、肉にある者は、神を喜ばせることができない。しかし、神の御霊あなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人キリストのものではない。もし、キリストあなたがたの内におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである。もし、イエス死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエス死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろうそれゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果すべき責任負っている者であるが、肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがた生きるであろう。すべて神の御霊導かれている者は、すなわち、神の子である。あなたがたは再び恐れいだかせる奴隷の霊を受けたではなく、子たる身分授ける霊を受けたのであるその霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである御霊みずから、わたしたちの霊と共にわたしたち神の子であることをあかしして下さる。 — ローマ人への手紙8章2-16、『口語新約聖書日本聖書協会1954年 神の霊によって語る者はだれも「イエスのろわれよ」とは言わないし、また聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことできない。霊の賜物種々あるが、御霊は同じである。務は種々あるが、主は同じである。働き種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。各自御霊現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つ御霊によっていやしの賜物、またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。すべてこれらのものは、一つの同じ御霊働きであって御霊思いのままに、それらを各自分け与えられのである。 — コリントの信徒への手紙一12-3-11、『口語新約聖書日本聖書協会1954年 肉とは、ねたみや争い党派心不品行、他の人を顧みないこと、見下すこと、教会全体の益を図らず好き勝手に賜物用い利己的な態度、愛の欠けた自己中心的態度貪欲欺き虚偽不正、偏見差別性的不道徳などがあり、真の霊性とはこうした肉に支配され聖霊によって生きること他ならない御霊によって歩きなさい。そうすれば決して肉の欲を満たすことはない。なぜなら、肉の欲するところは御霊反し、また御霊欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果あなたがた自分でしようと思うことを、することができないようになる。もしあなたがた御霊導かれるなら、律法の下にはいない。 — ガラテヤ人への手紙5:16-18、『口語新約聖書日本聖書協会1954年 肉の働きは明白である。すなわち、不品行汚れ好色偶像礼拝まじない敵意争い、そねみ、怒り党派心分裂分派、ねたみ、泥酔宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容慈愛善意忠実柔和自制であって、これらを否定する律法はない。キリスト・イエス属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。もしわたしたち御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか互にいどみ合い互にねたみ合って虚栄生きてならない。 — ガラテヤ人への手紙5:19-26、『口語新約聖書日本聖書協会1954年 真の霊性は、父なる神イエス従い続けていくことで得られ教会はじめとする共同体霊性とされるキリスト教倫理に遵った生活は、「洗礼の際、神によって注がれた霊に遵って生きること」とされた。

※この「真の霊性」の解説は、「霊性 (キリスト教)」の解説の一部です。
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