疫病の流行とは? わかりやすく解説

疫病の流行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:11 UTC 版)

「17世紀の危機」記事における「疫病の流行」の解説

黒死病」および「感染症の歴史」も参照 この時代流行した疫病は、ペストはじめとして発疹チフス腸チフス赤痢天然痘猩紅熱麻疹(はしか)、マラリアなど多種わたったペストが「黒死病」として14世紀中葉ヨーロッパで猖獗きわめたことは、つとに知られるところであるが、その後ペスト菌ヨーロッパ常在し、大小流行繰り返した。ただし、その毒性次第減じていったとみられるとはいえ17世紀から18世紀前半にかけてのこの時期来襲地の数は14世紀同レベルそれ以上及んでおり、規模はともかくとしてその範囲広くまた、凶作飢饉のうち続く中での流行だったので、この時代生きた人々多大犠牲もたらしたであったヨーロッパ各国におけるペスト最後大流行は、最も早いスイス1610年-1611年、最も遅いフランスで1720年-1722年であった。 この時期とりわけ甚大な被害受けたのは1629年から翌30年にかけてフランスイタリア襲ったペストで、南仏ディーニュという町では人口1万人のうち8,000人から8,500人にかけての人々亡くなり生き残った人の中でも感染しなかったのはわずか6人程度だったといわれるまた、1663年オランダでのペスト流行1664年から翌1665年にかけてのイングランドでのペスト流行は有名で、ことに後者は「ロンドンの大疫病」として知られており、46万と推定されるロンドン市民のうちおよそ7万人亡くなっている。 コロモジラミ媒介するリケッチアによる感染症である発疹チフスは、レコンキスタ終末期における15世紀グラナダ戦役大流行したものだが、17世紀になると感染範囲がいっそう広がった1613年にはフランスで1618年にはドイツ流行し、特に三十年戦争における独仏では猖獗きわめたウイルス性の天然痘単独集中多発する例に乏しいが、1640年代アイルランドではペストとともに同時流行し1709年から翌年にかけては東プロイセンリトアニアではペストおよび発疹チフスとの同時進行確認されている。 赤痢は、1676年から1678年にかけてフランドル地方流行した赤痢腸チフス猩紅熱は、いずれも細菌性感染症であるが、この3つ同一地方交互に襲ったのが、1705年から1714年にかけてのフランス西部であり、ここでは飢饉下で疫病蔓延したため大量死つながったハマダラカ媒介するマラリアは、沼沢地中心に広がり、特にイタリアスペインフランスで被害大きかったイタリアにおける流行中心ポー平原中部イタリアスペインではヴァレンシアはじめとする沿岸地方フランスでは荒蕪地やブルゴーニュ地方などで、フランスで流行北ドイツポーランドリトアニア東部など、より寒冷な地方への感染拡大つながった

※この「疫病の流行」の解説は、「17世紀の危機」の解説の一部です。
「疫病の流行」を含む「17世紀の危機」の記事については、「17世紀の危機」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「疫病の流行」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「疫病の流行」の関連用語

疫病の流行のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



疫病の流行のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの17世紀の危機 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS