王立地理学会とは? わかりやすく解説

王立地理学会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/09 00:03 UTC 版)

王立地理学会(おうりつちりがっかい、英語: Royal Geographical Society RGS)は、地理学の発展のために1830年に設立されたイギリス学会日本語では王立地理学協会[1]王立地学協会[2]などとも訳される。今日においては、世界の地理学の中心的位置を占める学会であり、研究教育巡検フィールドワークを支援し、世界の人々、場所、環境についての一般法則化と詳細な理解を奨励している。


  1. ^ 吉田(2010)
  2. ^ 寺田貞次『世界地理行脚』古今書院。 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ 吉田(2010):36 - 37ページ
  4. ^ 吉田(2010):36ページ
  5. ^ Albertopolis: Royal Geographical Society” (英語). Royal Institute of British Architects. 2012年12月10日閲覧。
  6. ^ 木内(1969):179ページ
  7. ^ a b 天野(2009):118ページ
  8. ^ a b 野澤(1999):668ページ
  9. ^ 志村(2000):7ページ
  10. ^ Scott centenary: An enduring scientific legacy”. Exhibition With Scott to the Pole 16 January 2012 to 30 March 2012. Royal Geographical Society. 2012年2月22日閲覧。
  11. ^ 王立地理学会. “People and staff” (英語). 2012年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月8日閲覧。
  12. ^ 秋田経済新聞"秋田と地球の裏側で〜探検家・高橋大輔さん"<ウェブ魚拓>2010年5月19日(2012年12月28日閲覧。)
  13. ^ Research Groups
  14. ^ Medals and Awards”. About Us. Royal Geographical Society with IBG (n.d.). 2008年8月7日閲覧。
  15. ^ 1876年にRawatの功績はGeographical Magazineで紹介された。雑誌掲載の報はすぐに広まり、インド政府は彼の退職に際し、1つの村と1,000ルピーを贈って彼を讃えた。最高の栄誉は1876年に王立地理学会が贈った金メダルであり、受賞理由は「我々の時代において、誰よりも最も優れた量のアジアの地図に対するポジティブな知識を付け加えた」であった。 - Nagendra 1999.


「王立地理学会」の続きの解説一覧

王立地理学会

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ジョセフ・トムソン (探検家)」の記事における「王立地理学会」の解説

1878年大学卒業すると、トムソンは、王立地理学会がダルエスサラームからニアサ湖マラウイ湖)とタンガニーカ湖へのルート探索のために組織したアレクサンダー・キース・ジョンストン率い探検隊に、地質学者博物学者として加わった。この探検行の途中でジョンストン死亡しトムソン一行指揮執ることとなったトムソンは、14カ月に及び3,000マイル踏破したこの遠征成功導き多数標本持ち帰るとともに多数観察記録残した1883年には、王立地理学会が組織したアフリカ東岸からヴィクトリア湖北岸に至るルート探索する探検隊加わった当時イギリス帝国商人たちは、敵対する恐れの高いマサイ族や、競合関係にあったドイツ帝国商人たち避けて通るルート求めていた。この探検隊は、競合しドイツグスタフ・A・フィッシャードイツ語版)の探検隊より出発数ヵ月遅れたトムソンリーダーシップは、この探検成功させ、有効なルート確立するとともに数多く重要な生物学的地質学的民族誌観察記録残したが、途上試みたキリマンジャロへの日帰り登山には失敗した。しかし、帰路トムソンは、アフリカスイギュウ襲われ負傷しこのためマラリア赤痢罹患してしまった。 やがて回復したトムソンは、1884年11月の王立地理学会の会合で、自身経験について語り翌年には学会から金メダル創立者メダル)を授与された。彼の著書『Through Masai Land』は、1885年1月刊行されると、ベストセラーとなった。この本を真っ先読んだ読者一人は、まだ無名だったヘンリー・ライダー・ハガードであったハガード想像力は、トムソン探検によって点火され程なくしてハガードソロモン王洞窟 (King Solomon's Mines)』が書かれた。トムソンはこれに激怒したトムソンは、赤道直下ありながら冠雪している山々についての最初信憑性の高い報告をなし、マサイ族戦士たち相手自分義歯外して見せ自分魔法使いと言って恐れさせた。『ソロモン王洞窟』の作中でも、登場人物ひとりであるグッド海軍大佐 (Captain Good) が、これと全く同じように、山に登ってに出くわし、また、歯を外して見せてククアナ族 (the Kukuana tribe) を怯えさせていたのであるトムソンは、自分でも小説書きUlu: an African Romance』として刊行したが、こちらはさっぱり売れなかった。

※この「王立地理学会」の解説は、「ジョセフ・トムソン (探検家)」の解説の一部です。
「王立地理学会」を含む「ジョセフ・トムソン (探検家)」の記事については、「ジョセフ・トムソン (探検家)」の概要を参照ください。

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