父母について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/10 04:15 UTC 版)
父系の4代前にあたるヴィデットは名種牡馬ガロピンを出したが、それ以外にはほとんど活躍馬を出せなかった種牡馬であり、ガロピンのほかにはグッドウッドカップを勝った1865年生のスペキュラム(サンドリッジの3代前にあたる)がいる程度であった。そのスペキュラムは産駒のセフトンがダービーステークスに勝つなどの活躍もあり、1878年のイギリスリーディングサイアーに輝いている。 サンドリッジの父アンフィオン(アンピオンとも読まれる)は、一部資料上では「父ローズベリー、またはスペキュラム」と記載されている。これは当初アンフィオンの母であるスーサイドにスペキュラムを種付けする予定であったが、その種付け中に急死したため、代打としてスペキュラム産駒のケンブリッジシャーハンデキャップ勝ち馬である、ローズベリーがあてがわれたためである。 アンフィオンは4年間の競走生活で24戦14勝を挙げている。おもな勝鞍に、セインフォイン・シュアフートのクラシック優勝馬2頭を抑えて勝ったハードウィックステークスや、二冠牝馬メモワールらを破ったランカシャープレート、チャンピオンステークスなどがある。 アンフィオンは引退後はドーセットにあるコンプトンスタッドで種牡馬となり、1906年に没するまでそこそこの成功を収めていた。アンフィオン自身は幅広い長距離での勝鞍もあったが、産駒は短距離を得意とする早熟馬が多い傾向にあり、サンドリッジのほかにもニューマーケットステークス優勝馬ラリー(Lally 1903年生、牡馬)や、サンドリッジと何度も対戦したデュードネ(Dieudonne 1895年生、牡馬)などがいる。また母の父としても影響を残しており、ダークレジェンドやケルト、ビューチフルドリーマーなどがアンフィオンを母の父に持っている。 母シエラはヴィクトリア女王の生産馬の一頭で、セインフォインの全妹にあたる馬であった。片側の鼻孔に異常があり、呼吸に難があったため、競走馬とならずにそのまま繁殖牝馬となっている。1893年にサンドリッジの全姉アンフォーラ (Amphora) を産んだのち、1894年にサミュエル・スコット卿に購入された。1905年にサンドリッジの全弟エルムスティード (Elmstead) を産んだ直後に死亡している。産駒はサンドリッジのほか、前述のアンフォーラやエルムスティード(ともにスチュワーズカップ勝ち)がステークス競走勝ちを収めている。
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父母について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/19 05:06 UTC 版)
母メイドマリアンはヴィクトリア女王の生産馬の一頭であった。1歳の時にハンプトンコートのイヤリングセールで売りに出されたが、当時はまだ父ハンプトンも種牡馬としての評価が低く、また母クァイヴァーも当時は評価されるものではなかったため値は上がらず、ローソンという人物に400ギニーと高くない値段で購入された。競走馬としての能力は低く、後にクレーミング競走によって150ポンドでリチャード・マーシュに売却され、後にフランシス・ラスカムに300ポンドで転売された。生涯成績は7戦0勝であった。 しかし、メイドマリアンの母クァイヴァーが産んだ姉・メモワールがオークスとセントレジャーステークスに勝つと評価は急上昇し、未勝利に終わった牝馬でありながらも最終的には3000ポンドの値でJ・E・プラット少佐に売却されている。クァイヴァーはこのほかにもイギリス牝馬三冠馬ラフレッシュを産んでいる。しかし、プラット少佐所有のもとでは競走馬として成功した産駒は出ず、その後ニューマーケットでのジュライセールにおいて、620ギニーでクルー伯爵に売却された。この時点でのメイドマリアンの繁殖成績は見るものがなかったが、父ハンプトンの母父実績、および同馬の姉妹の成績を考慮してクルー伯爵は購入を決めたという。 クルー伯爵所有のもとでの初産駒となったエルシルドン(1896年生・父ケンダール)がデュークオブヨークステークスに勝つなど活躍し、メイドマリアンの繁殖牝馬としての素養が確かなものであること証明した。そして、その後の1902年にポリメラスを産んでいる。 また、プラット少佐に所有されていた頃に産んだ未出走馬グラフトン(1894年生・父ガロピン)は競走馬とはならなかったものの、輸出先のオーストラリアで種牡馬として成功、4度のリーディングサイアーに輝いている。 父シリーンはアルゼンチンでも成功し、アルゼンチンのダービーに相当するナシオナル大賞優勝馬を3頭出した。ポリメラスの死亡から1年後にあたる1925年に死亡した。
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父母について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/19 05:04 UTC 版)
母アルシバアディーズはケンタッキーオークス馬で、後年になって1929年・1930年のアメリカ最優秀2歳・3歳牝馬として認定された名牝であった。キーンランド競馬場で行われている2歳牝馬限定戦のアルシバイアディーズステークスは、同馬を記念して1952年に創設されたものである。 父ファラモンド(渡米後は「ファラモンドII」と呼ばれる)はイギリスで競走生活を送り、ミドルパークステークスに優勝した馬であった。1928年にアメリカに送られ、同馬のほかにコズミックボム(1944年生、カウディンステークスなど。コスマーの父。)などを送り出している。
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