松平容保とは?

まつだいらかたもり まつだひら- 【松平容保】 ○


松平容保 (まつだいらかたもり)

幕末会津藩あいづはん]の藩主京都警備担当する京都守護職きょうとしゅごしょく]をつとめ長州藩とは対立しました。戊辰戦争ぼしんせんそう]では新政府軍と戦って敗れました。

関連項目

松平容保 まつだいら かたもり

天保6年12月29日明治26年12月5日(1836~1893)

東京生まれ高須藩松平家生まれ会津藩松平容敬養子となる。嘉永5年(1852)襲封文久2年(1862)京都守護職に任じられ上洛同年八月十八日の政変長州藩勢力京都から駆逐京都治安公武合体に力を尽くし孝明天皇信頼を得た。元治元年(1864)禁門の変長州勢を攻撃。征長強硬論持論とする。慶応3年1867王政復古京都守護職を免ぜられ、4年1868鳥羽・伏見の戦で敗れる。会津謹慎したが、新政府軍攻められ降伏明治13年(1880)日光東照宮宮司となった。

キーワード 公家・旧大名

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松平容保


松平容保

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/07/25 15:43 UTC 版)

松平 容保(まつだいら かたもり)は、幕末大名陸奥国会津藩の第9代藩主(実質的に最後の藩主[1])。京都守護職高須四兄弟の一人で、血統的には水戸藩主・徳川治保の子孫。現在の徳川宗家は容保の男系子孫である。




  1. ^ 容保の隠居後に、養嗣子の松平喜徳が家督を継ぎ会津藩主になったとみなすかどうかについては、見方が分かれる。
  2. ^ 日露戦争において乃木希典の副官を務め、出師営の会見に同行している。なお息子の貞夫は陸軍中尉としてインパール作戦に従軍し戦死。高木俊朗によると、その死は花谷正に自決を強要されたものであった(『戦死 インパール牽制作戦』)。
  3. ^ 磯田道史 『龍馬史』 文藝春秋2010年ISBN 4163730605
  4. ^ 『男爵山川先生遺稿』「14 忠誠神君の御逸事」より
  5. ^ 『男爵山川先生遺稿』「15 英照皇太后陛下より忠誠神君へ牛乳を賜りしこと」より
  6. ^ 『西忠義翁徳行録』


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