日本の資源輸送への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 06:09 UTC 版)
「ヒ86船団」の記事における「日本の資源輸送への影響」の解説
「南号作戦」も参照 ヒ86船団で失われた艦船は、日本にとって大きな損害であった。本船団を含めた1945年1月中の第38任務部隊による被害は、輸送船83隻(28万3000総トン)沈没に達した。潜水艦などによる損害も合わせると42万5000総トンに上る。中でも、貴重なタンカーが18万総トンも含まれていたことは、日本の戦争継続能力に打撃となった。 艦船や積荷といった直接の損害以上に、南シナ海の奥深くにまでアメリカ海軍機動部隊が侵入してきたことが、大日本帝国海軍に衝撃を与えた。オランダ領東インドの資源地帯を占領していても、南シナ海のシーレーンが遮断されてしまっては日本列島に物資が輸送できず無意味となるからである。さらにルソン島にアメリカ軍の航空基地を設置されれば、南シナ海シーレーンが常時空襲の脅威にさらされると予想された。 そこで大本営は、石油輸送のみに限って南方占領地からのシーレーンを維持する方針を立て、これに基づき大日本帝国海軍は護衛のための南号作戦を発動することになった。ヒ86船団の戦訓を踏まえ、大船団主義を採っても大規模な空襲には対抗不可能なことから、小規模の船団として被害を極限する方式に戦術が変更されることになった。最後の努力である南号作戦は、この後3月下旬まで続いた。 戦史叢書では『潜水艦による海上交通破壊戦は、地道ななしくずし的作戦であるが、機動部隊による海上交通破壊戦は、爆発的大量虐殺的な作戦であって、台風一過あとには何物も残さない凄惨なものであった。』と総括している。 昭和天皇側近木戸幸一の手記「木戸日記」によれば、天皇は1月6日と1月12日(ヒ86船団壊滅、香椎沈没日)に終戦の意志をもらしたという。
※この「日本の資源輸送への影響」の解説は、「ヒ86船団」の解説の一部です。
「日本の資源輸送への影響」を含む「ヒ86船団」の記事については、「ヒ86船団」の概要を参照ください。
- 日本の資源輸送への影響のページへのリンク