改革開放と法(1979年から1992年)
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「中国法制史」の記事における「改革開放と法(1979年から1992年)」の解説
1979年から1992年までは、社会主義法の枠内で法秩序を再建する一方、経済改革・対外開放(改革開放)を実現する法システムが模索された。1987年12月の中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議は、文革期から続く混乱を収拾して秩序を回復することに傾注し、過渡期階級闘争から社会主義的現代化への党の路線を転換した。改革開放が基本政策となり、法秩序の再建が優先課題となって20年ぶりに立法に力が入れられるようになった。党11期3中全会前、1978年3月に憲法が改正されているが(78年憲法)、この憲法改正は文革路線を認める過渡的な性格のものだった。したがって党11期3中全会後の新たな路線を推進し保障する立法は、1979年7月の7件の法律から始まっている。それらは2つに分類される。第1のグループは、人民法院組織法、人民検察院組織法、そして刑法や刑事訴訟法の制定に象徴されるように、国内的に法秩序を再建しようとする立法である。そこでは、当時存在していたソ連・東欧の社会主義諸国および1950年代の中国の法理論や法制度を継受している。法制建設の要となる中華人民共和国憲法(82年憲法=現行憲法)は、オーソドックスな社会主義法の枠組みを維持し、「公有制」、「計画経済」、「按労分配」、そして「中国共産党の指導」という社会主義の原則を掲げた。第2のグループは、中外合資経営企業法に代表されるように、対外的に直接投資の受け皿としての法を整備する立法である。中外合資経営企業法は、1979年当時社会主義国としては初めて、資本主義国から直接投資を受け入れる合弁法であった。1980年代には、対外開放を促進する法システムが、国内法システムとは切り離して形成されるようになり、経済特別区が設置され、商標法、中華人民共和国専利法など技術導入に不可欠な知的財産法も早くから立法されている。1984年10月、共産党第12期3中全会が経済改革に関する決定を採択して、経済改革への本格的な取り組みが始まった。計画的商品経済という新しい概念を打ち出して、漸く新たな立法に着手した。この時期の主要な立法としては、中華人民共和国民法通則(1986年)や全人民所有制工業企業法(1988年)がある。民法通則は、中華人民共和国初の民事基本法である。ソ連・東欧の民法理論・立法経験を広く参照して起草されているが、計画的商品経済論に依拠していることから部分的には当時の社会主義民法理論を乗り越えているところもあり、21世紀に入っても現行法として通用している。1980年代末になると、経済改革が全面的に実施されるようになり、私営経済(私営企業)の発展と株式制度の実験等のため、公有制・計画経済・按労分配の原則を見直す必要が出てきたが、まだ伝統の枠を維持しながらの微調整に留まっている。その代表が1988年の憲法修正である。こうした経済改革の動きは、民主化の要求を武力で抑え込んだ1989年の天安門事件(六四事件)によって一時中断する。ただし、環境保護法(1989年)、著作権法(1990年)、中華人民共和国民事訴訟法(1991年)など改革とは直接関係のない法律の立法は進められた。また中国政府が、これまで使用してこなかった「人権」概念を公式に用いるようになった。
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