戸田 邦雄
東京生まれ。幼少より童謡等を創作するなど、作曲に関心を示す。東京帝国大学(現・東京大学)法律学部政治学科在学中も、オーケストラ部によって自作が演奏されるなど、音楽活動を続行。卒業後、外務省外交官としてドイツやソ連の大使館に勤務する傍ら、現地の大学で和声や音楽理論を聴講する。41年より3年間諸井三郎に作曲を師事。45年(終戦時)には赴任先のカンボジアにてフランス軍に3年間拘留されるが、その間にレイボヴィッツ著『シェーンベルクとその楽派』を入手。帰国後、この書が同門の柴田南雄や入野義朗に渡り、12音技法が日本に広まる契機となる。作品には管弦楽、声楽、器楽の他オペラやバレエ等舞台作品も多い。戸田自身は多くの技法の一つとして12音技法を用い、他の12音主義者たちとは異なるロマン的な響きのする作品を残した。64年に外務省を退官後、桐朋学園大学教授、洗足学園大学教授を歴任。レジオン・ドンヌール勲章(フランス)、勲四等旭日中授章受賞。
戸田邦雄
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戸田 邦雄(とだ くにお、1915年(大正4年)8月11日 - 2003年(平成15年)7月8日)は、日本の作曲家。本名は戸田盛国。
- ^ 『日本の作曲家20世紀』音楽之友社、1999年(平成11年)
- ^ 『音楽の世界』1998年(平成10年)10月合併号掲載のインタビュー「戸田邦雄さんに聞く~外交官で作曲家であった人生」で戸田はサイゴンから帰国した1948年(昭和23年)の頃を振り返り「当時妹の夫だった柴田南雄」と発言している。
- ^ a b c d e f g 「作曲家の個展:戸田邦雄作品演奏会」プログラム (1957.7.13) ブリヂストン美術館
- ^ 「日本の交響作品展7 青春の作曲家たち」プログラム (新交響楽団、1983.4.3)
- ^ 「新声会第8回演奏会」(日本近代音楽館『戦後作曲家グループ・活動の軌跡 1945-1960』) 1998.04, p4
- ^ a b 「新声会第10回演奏会」(日本近代音楽館『戦後作曲家グループ・活動の軌跡 1945-1960』) 1998.04, p4
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