宣教師の活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 10:29 UTC 版)
「桃山文化」および「南蛮貿易」も参照 天文18年(1549年)、キリスト教の布教のため薩摩国鹿児島をおとずれたイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルは、肥前国平戸を経て周防国山口をおとずれ、そこで中国地方の戦国大名大内義隆に時計・眼鏡・火縄銃・葡萄酒・オルゴールを贈呈している。 ザビエル以降、ガスパル・ヴィレラ、ルイス・フロイス、ニェッキ・ソルディ・オルガンティノ、アレッサンドロ・ヴァリニャーノ、ルイス・デ・アルメイダ、ガスパール・コエリョ(以上イエズス会)、ジェロニモ・デ・ジェズス、ルイス・ソテロ(以上フランシスコ会)など、多くのカトリック宣教師による布教が活発化した。オルガンティノは永禄10年(1576年)、京都に教会堂として南蛮寺を建て、また安土には神学校(セミナリオ)を建てている。宣教師たちは、セミナリオやコレジオ(宣教師養成のための大学)で、神学・哲学・ラテン語・音楽・絵画を教授したほか、天文学や暦学、数学、地理学、航海術、医学(南蛮流外科)など実用的な知識を日本に伝えた。また、教会の典礼音楽としてグレゴリオ聖歌が歌われた。
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