安土城跡とは? わかりやすく解説

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安土城跡

名称: 安土城跡
ふりがな あづちじょうあと
種別 特別史跡
種別2:
都道府県 滋賀県
市区町村 蒲生郡安土町東近江市
管理団体 滋賀県(昭3・2・9)
指定年月日 1926.10.20(大正15.10.20)
指定基準 史2
特別指定年月日 昭和27.03.29
追加指定年月日
解説文: 天正四年織田信長丹羽長秀奉行トシ安土山ニ築カシメ十年本能寺變ニ至ルマデ信長居城タリ變後間モナク天守閣火災ニ罹リ其後マタ附近諸城築カルヽニ當リテ石材等ヲ取去ラシタレトモ本丸二丸以下石疊、磴道井泉等善ク遺存シ濠渠ノ阯マタ見ルヘキモノアリテ其ノ雄大ナル規模ヲ窺フニ足ル而シテ信長廟及總見寺マタ此ノ區域内ニアリ其ノ三重塔樓門ハ現ニ特別保建造物タリ
織田信長の築くところであって天正年正着工二月岐阜からここに移った爾後石垣天守閣殿舎等の造営をすすめ、城下町経営し七年五月に天守閣成って、これに移る等、着々工事進め、九年頃竣功したと認められる十年六月本能寺の変後天守閣罹災、ついで三法師これに移ったがのち廃城となった
城は北方琵琶湖に向って長く半島状に挺出した独立丘陵安土山に築かれ西南麓から南麓にわたる水濠があって城地を■している。山の南部位する高所には天守台御殿からなる本丸営まれ二の丸三の丸等の諸郭はこれに相接し黒金門跡はその入口扼して堅固な中枢部をなし、北にやや低く八角平の一部派出する。これを中心として山腹屋根所々将士の邸、蔵屋敷等と伝えられる平地数多く配せられ、南麓大手東南麓に東門の跡がある。またこの間にあって山の西南部には総見寺楼門三重塔炎上の厄を免れて遺存し、二の丸には信長の墓が営まれている。
固より落城によって壯麗な建物燒失しているが、諸遺構はよく旧規偲ばしめるものがあり、本丸始めとして諸郭、門等を堅め石垣殊に壯大な天守台まことに■期的であり、城の立地またよく時代先駆称し得べく城郭史上屈指の遺跡で、学術上の価値極めて高い。
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