にわ‐ながひで〔には‐〕【丹羽長秀】
丹羽長秀
丹羽長秀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/11 19:48 UTC 版)
丹羽長秀(にわながひで)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。織田氏の宿老であり、主君・織田信長に従い、天下統一事業に貢献した。朝廷より惟住(これずみ)の姓を賜ったので、惟住長秀ともいう。
注釈
- ^ 「太閤記」には、元々「木下」姓だった豊臣秀吉が双方の字を取って「羽柴」の姓を信長に申請したという逸話があるが、真偽は不明。
- ^ 信澄は信長の実弟・織田信行(信勝)の子(つまり信長の甥)。信長から才覚を買われ一門衆では実子と同格に扱われ、秘書的な役割を果たしていた。歴とした後継候補の1人であり、信澄は後継者争いにより殺害されたとする説もある。
- ^ 江沼郡と能美郡の大半は、家臣の溝口秀勝と村上義明が領した[9]
- ^ 高吉の母とされる長秀側室の父・杉若無心は越前の戦国大名朝倉氏の遺臣と伝わるが、その後羽柴秀長に仕えている。
- ^ 蜂屋頼隆の室は長秀の妹。
- ^ 長秀-女(典通室)-一通-知通-恒通-女(勧修寺顕道室)-経逸-婧子(光格天皇典侍)-仁孝天皇
出典
- ^ 『大日本史料第10巻、第24号』。「丹羽越前守長秀室、號深光院」の記述
- ^ a b 『新修彦根市史 第1巻(通史編 古代・中世)}』彦根市史編集委員会、2007年1月。
- ^ “『福井県史』通史編|通史編2 中世|第四章 戦国大名の領国支配|第四節 朝倉・武田両氏の滅亡|五 朝倉義景の近江出兵と滅亡|再三の近江出兵と滅亡”. 福井県文書館 (1994年). 2022年12月3日閲覧。
- ^ “『福井県史』通史編|通史編3 近世一|第一章 織豊期の越前・若狭|第二節 織田期の大名|三 丹羽長秀の若狭支配|若狭三郡の支配”. 福井県文書館 (1994年). 2022年12月3日閲覧。
- ^ 戦国史研究会 2011, 功刀俊宏「織田権力の若狭支配」.
- ^ 谷口 2007, p. 80.
- ^ 柴裕之「丹羽長秀――信長・秀吉が重んじた男」『歴史街道』3月号、2022年。
- ^ 藤井譲治「豊臣期における越前・若狭の領主」『福井県史研究』第12号、1994年。
- ^ “『福井県史』通史編|通史編3 近世一|第一章 織豊期の越前・若狭|第三節 豊臣政権と若越|一 越前・若狭の大名配置|賎ケ嶽の戦い後”. 福井県文書館 (1994年). 2022年12月3日閲覧。
- ^ 谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(第2版)吉川弘文館、2010年、332頁。
- ^ 宮本 1993, p. 168.
- ^ 中村幸彦、中野三敏 編「丹羽長秀の腹中より出る虫の事幷図」『甲子夜話続篇』 1巻、平凡社、1979年、76-79頁。
- ^ a b 宮本 1993, p. 170.
- ^ 祖田 1991, pp. 215–216.
- ^ “「丹羽長秀の血を引く男」万能DFの丹羽、初選出に“武者震い””. スポニチアネックス. 2015年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月2日閲覧。
- ^ エル・ゴラッソJリーグプレーヤーズガイド2017(スクワッド)、p97
- ^ "麒麟がくる:“仮面ライダー斬鬼”松田賢二が出演 丹羽長秀役で明日放送第43回に登場" MANTANWEB(まんたんウェブ)2021年01月30日
丹羽長秀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/09 03:06 UTC 版)
織田家臣。建築に長け、安宅船の建造や安土城の築城においてその手腕を発揮する。
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丹羽長秀
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織田家の五人の宿老の一人。通称五郎左。冷静沈着で明晰な頭脳の持ち主。会議では古くからの盟友・勝家の参謀として秀吉に対抗する。勝家の人格を好ましく思う一方、その不器用さに一抹の不安も感じている。
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丹羽長秀(声:高塚正也)
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「決戦III」の記事における「丹羽長秀(声:高塚正也)」の解説
織田家家臣。真面目だが心配性でいつも主君の信長や古馴染みの前田利家に振り回され、あげく利家や信長から「心配性の芋侍」と呼ばれている。織田軍では数少ない黒鍬部隊である。武将系統は「知将」。
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丹羽長秀(にわ ながひで)
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「センゴク兄弟」の記事における「丹羽長秀(にわ ながひで)」の解説
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丹羽長秀(にわ ながひで)
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「テンカイチ 日本最強武芸者決定戦」の記事における「丹羽長秀(にわ ながひで)」の解説
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丹羽長秀(にわ ながひで)
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「センゴク」の記事における「丹羽長秀(にわ ながひで)」の解説
通称は五郎左衛門。後に惟住氏とも名乗る。織田家の重臣の一人。信長には「巻き毛」と呼ばれる。数多くの合戦に従軍し、軍議では進行役を務める事も多い。「米五郎左」の異名をとる。左手の指を米神のあたりに付けるのが癖。
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丹羽長秀(にわ ながひで)
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「義風堂々 直江兼続 -前田慶次月語り-」の記事における「丹羽長秀(にわ ながひで)」の解説
織田家臣で佐和山城城主、安土築城の普請奉行を勤める信長四天王の一人。
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丹羽長秀(戦国列車)
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48歳。織田家古参の将。「米五郎左」と呼ばれ、才能を遺憾なく発揮する職人気質的な性格でその人柄から多くの者から頼りにされている。ゆえに織田家家中の内情に明るい。
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丹羽長秀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 21:07 UTC 版)
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