宇部興産の伊佐進出により専用側線へとは? わかりやすく解説

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宇部興産の伊佐進出により専用側線へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 14:43 UTC 版)

伊佐軌道」の記事における「宇部興産の伊佐進出により専用側線へ」の解説

戦時中生き残った伊佐軌道であるが、転機訪れることになったのは宇部興産伊佐地区への進出である。 実は1921年大正10年渡辺祐策伊佐町高ノ峯の石灰石鉱山買収し1923年大正12年9月前身宇部セメント製造設立し、いざ採掘しようとしたところ採掘権は山の中腹にあり麓には日本石灰工業工場伊佐軌道があった。当然日本石灰工業私有地を通らねばならなかったので買収申し出たところ。中村直三郎は拒否した宇部政財界トップに立つ渡辺祐策の力であっさり買収できるおもっていた宇部セメント製造一向に交渉進まず困惑したが、時間迫っていたので中村要求ことごとく受け入れようやく1924年大正13年4月道路用地と石灰工場売買に関する仮契約を結ぶことになったのだが、ここで福岡県恒見石灰石山を利用することに方針転換し結果として伊佐町高ノ峯の石灰石鉱山戦後まで放置されることになった。 しかし放置されている間も宇部セメント日本石灰工業組合1935年昭和10年9月に「日本石灰工業組合所有する伊佐軌道株式譲り受ける」「宇部セメント日本石灰工業組合共同伊佐軌道専用側線にする」ことの契約をし、伊佐軌道役員宇部セメント関係者交替するなど事前の準備すすめていたのである。 やがて多年採掘により恒見石灰石山が枯渇してきたので1946年昭和21年9月伊佐採石所を発足させ10月から伊佐町高ノ峯の石灰石鉱山開発着手した。そして11月麓にある日本石工業第二工場伊佐軌道買収することになりようやく1924年仮契約履行されることになったのである伊佐軌道の全株式のうち宇部興産が1370日本石灰工業所が630所有することになった。当然馬車軌道では輸送力限界があったので輸送力増強を図るため国鉄同等規格路線敷設計画した。そして宇部興産中安閑一専用側線敷設認可を受けるため大阪鉄道管理局赴いたところ、たまたま旧知佐藤栄作運輸省事務次官であった佐藤は中安の話を聞き全面的な協力約束し工事すみやかにおこなわれたという。こうして1947年昭和22年8月12日専用側線(現・伊佐セメント工場専用線)は開通し伊佐軌道廃止となった

※この「宇部興産の伊佐進出により専用側線へ」の解説は、「伊佐軌道」の解説の一部です。
「宇部興産の伊佐進出により専用側線へ」を含む「伊佐軌道」の記事については、「伊佐軌道」の概要を参照ください。

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