全日空羽田沖墜落事故とは? わかりやすく解説

全日空羽田沖墜落事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/28 09:23 UTC 版)

全日空羽田沖墜落事故(ぜんにっくう はねだおきついらくじこ)は、1966年昭和41年)2月4日夕刻、全日空ボーイング727-100型機が東京国際空港沖(羽田空港沖)の東京湾に墜落した事故である。乗客乗員133人全員が死亡し、1966年当時において一機の単独事故としては世界最大の墜落事故となった。


注釈

  1. ^ 目撃者は元自衛官であり、1960年(昭和35年)の全日空小牧空港衝突事故でも救助に当たっていた。
  2. ^ この事故が発生するまでは1962年6月3日パリオルリー空港で発生し、130人が死亡したエールフランス007便離陸失敗事故が単独機として世界最悪の航空事故であった
  3. ^ CVRコックピットボイスレコーダー、FDRフライトデータレコーダーなどで構成され、事故原因究明に役立てるための装置。
  4. ^ 直後に起きた英国海外航空機空中分解事故のボーイング707には装備されていた。
  5. ^ のちの調査で東京湾上の時点では、水平もしくは緩やかな降下での飛行が判明したが、東京湾上空に差しかかる時点で既に通常より低い高度で飛行していたとの目撃報告もあった。
  6. ^ それは日本航空への対抗だけでなく、開業間もない東海道新幹線への対策もあった。因みに当事故の3か月前の1965年11月には、東海道新幹線の超特急「ひかり」は東京 - 新大阪間3時間10分にスピードアップされ、羽田 - 伊丹間の航空路線にとっては脅威となっていた。
  7. ^ レシプロ機時代から続けられていた飛行方式だったが、当事故後は危険な飛行として禁止となった。
  8. ^ なぜ飛行中に操縦室のスライド窓操作レバーやドアレバーが「開」になっているかは説明されていない。
  9. ^ 航空機利用がまだ一般的でなかった当時はシートベルトの安全性が認識されておらず、締めないままの乗客が殆どであった。
  10. ^ 第3エンジンの脱落に関しては、事故後24年経過した1990年にノースウエスト航空5便エンジン脱落事故が発生している。

出典

  1. ^ a b c d e f g h 全日本空輸株式会社,ボーイング式727型,JA 8302 事故調査報告書」『日本航空宇宙学会誌』第19巻第207号、日本航空宇宙学会、1971年3月、155-165頁、NAID 130004741478 
  2. ^ a b c d 衆議院会議録情報 第051回国会 予算委員会 第6号”. 国会会議録検索システム. 国立国会図書館. 2019年2月1日閲覧。
  3. ^ 山名 1972, pp. 207–220.
  4. ^ デイビット・ゲロー 著、清水保俊 訳『航空事故―人類は航空事故から何を学んできたか?』イカロス出版、1997年5月1日、66頁。ISBN 9784871490993 
  5. ^ 柳田 1986, pp. 339–340.
  6. ^ 毎日フォトバンク - タイトル 「全日空機東京湾墜落事故。7時5分12秒を指す計器盤の時計」 ID:P19990610dd1dd1phj078000
  7. ^ 「海よ ないでくれ」『朝日新聞』、1966年2月8日、15面。
  8. ^ 『朝日新聞』、1966年8月10日、東京朝刊、社会面。
  9. ^ 柳田 1986, p. 55.
  10. ^ 山名 1972.
  11. ^ 柳田 1986, pp. 313–314.
  12. ^ 当時の全日空広告
  13. ^ 柳田 1986, pp. 243–248.
  14. ^ 藤田 2005.
  15. ^ 藤吉雅春『ノンフィクションを書く!』ビレッジセンター出版局、1999年7月2日、138–145頁。ISBN 978-4894361294 
  16. ^ 関脇以下名力士列伝相撲評論家之頁
  17. ^ 柳田 1986, p. 214.
  18. ^ 立花隆『田中角栄研究―全記録』 上下、講談社〈講談社文庫〉、186頁。 
  19. ^ 「遭難者補償 上積み額が問題」『中國新聞』昭和46年7月5日15面
  20. ^ 竹熊健太郎『篦棒な人々ー戦後サブカルチャー偉人伝』河出書房新社〈河出文庫〉、2007年12月4日(原著1998年)、249–251頁。ISBN 9784309408804 (原著 太田出版)
  21. ^ a b 『穴守稲荷神社史』穴守稲荷神社、2008年3月31日、124頁。 
  22. ^ 『日刊観光』日本観光新聞社、1966年3月25日。 
  23. ^ 大田区史編纂委員会『大田の史話』東京都大田区、1981年3月、330頁。 
  24. ^ ドキュメンタリー 謎の一瞬 - NHK放送史


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全日空羽田沖墜落事故

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全日空の航空事故およびインシデント」の記事における「全日空羽田沖墜落事故」の解説

1966年2月4日千歳空港羽田空港行き全日空60便ボーイング727-100型機 (JA8302) が、羽田空港着陸進入中に東京湾墜落した乗客乗員133名の全員死亡した目的地への到着を急ぐあまり高度を下げすぎたとする操縦ミス説や、グランドスポイラーの機構欠陥による誤作動説、第3エンジン不調および脱落説などが挙げられたが、事故調査報告書では原因不明とされた。 詳細は「全日空羽田沖墜落事故」を参照

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