孝昭王とは? わかりやすく解説

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孝昭王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/16 07:47 UTC 版)

孝昭王(こうしょうおう、687年 - 702年8月24日)は、新羅の第32代の王(在位:692年 – 702年)であり、姓は金、は理洪(『三国史記』新羅本紀・孝昭王紀の分注には理恭ともいう)。先代の神文王の長子であり、母は一吉飡(7等官)の金欽運(同・分注には金欽雲)の娘の神穆王后。691年に太子に立てられており、692年7月に先王の死去に伴い王位に就いた。5歳での即位となるが、摂政が立てられたような記事は見られない[1]




  1. ^ 7歳で即位した第24代の真興王には、即位直後は王母が摂政を務めたことが伝えられているが、孝昭王については摂政の記事は伝えられていない。また、即位の際の年齢、死去時の年齢についても伝わらない。
  2. ^ 唐と新羅との関係の改善については、共通の敵となる渤海国の成立(698年)に起因するとみられている。
  3. ^ 『日本書紀』には同年の遣新羅使の記事は見られないが、7世紀末期には頻繁に使者の往来があった。
  4. ^ 新羅における市場の設置、市典の配置は第22代智証麻立干598年の東市・東市典に始まる。


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