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渤海 (国)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/13 04:39 UTC 版)
渤海(ぼっかい、698年[1] - 926年)は、満洲から朝鮮半島北部、現ロシアの沿海地方にかけて、かつて存在した国家。大祚栄により建国され、周囲との交易で栄え、唐からは「海東の盛国」(『新唐書』)と呼ばれたが、最後は契丹(遼)によって滅ぼされた。
『新唐書』に、渤海は本来粟末靺鞨であり高句麗に従属していた、姓は大氏である(渤海 本粟末靺鞨附高麗者 姓大氏「渤海、それ粟末靺鞨にして高麗に附く者たり。姓は大氏」)と記す。
『旧唐書』と『新唐書』では渤海靺鞨の指導者大祚栄に関する記述は異なる。『旧唐書』では渤海靺鞨の大祚栄は出自は高句麗の別種(渤海靺鞨大祚榮者 本高麗別種也「渤海靺鞨の大祚榮、本は高麗の別種なり」)としているが、『新唐書』では粟末靺鞨の出としている。
『大金国史』には、女直(女真)は粛慎の遺種であり、渤海の別種(又曰女直、粛慎氏遺種、渤海之別種也。)と記す。
渤海の風俗は高句麗・契丹と同じ(風俗瑟高麗及契丹同「風俗は高麗契丹に重なり同じくする」)とある。
渤海の名は本来、遼東半島と山東半島の内側にあり黄河が注ぎ込む湾状の海域のことである(→「渤海 (海域)」)。初代国王大祚栄が、渤海沿岸で現在の河北省南部にあたる渤海郡の名目上の王(渤海郡王)に封ぜられたことから、本来の渤海からやや離れたこの国の国号となった。
以下、本項では歴史上に存在した国家としての「渤海国」を扱う。民族としての「渤海民族」については、別項渤海人を参照。
- ^ 元来は700年建国説が有力であったが、鳥山喜一の研究により698年建国説が定説化している。
- ^ 高仁義を筆頭とする24名を派遣している。『続日本紀』727年(神亀4年)9月庚寅の条
- ^ 『古銭新典』P265
- ^ ソ連のエ・ヴェ・シャフクノフの研究によれば、渤海語で王をいう“可毒夫”は「おそらく満州語の“卡達拉”(カダラ:管理するの意)や、ナーナイ語の“凱泰”(カイタイ)と関係があり、その本来の意味は年長の管理者の意味であろう」としている。また、渤海人と靺鞨人の名前の最後に“蒙”の字がついていることがあるが(烏借芝蒙、己珍蒙、慕思蒙など)、これは靺鞨語の重要な膠着語尾の一つを示しており、ツングース語系の各民族は氏族を“木昆”“謀克”と称しているが、“蒙”の音が“木”や“謀”の音と近いことを考えると、この“蒙”の音はその人が属する氏族を表す音節であろうと推測できる。《『渤海史』1996,p248》
- ^ 朱国忱・魏国忠(訳:佐伯有清・浜田耕策)『渤海史』p247
- ^ 『通古斯族系的興起』P174
- ^ 森安孝夫1982年、森田悌1993年
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