旧五代史とは? わかりやすく解説

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きゅうごだいし〔キウゴダイシ〕【旧五代史】

読み方:きゅうごだいし

五代史(ごだいし)[一]


旧五代史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 00:02 UTC 版)

旧五代史』(きゅうごだいし)は、北宋薛居正らの撰である歴史書。原名は『梁唐晋漢周書』、通称『五代史』とされ、欧陽脩による『新五代史』の編纂後は「旧」を冠する。二十四史の一つ。後梁開平元年(907年)から後周顕徳7年(960年)に北宋が後周に代わって建つまでが記されている。本記61巻・列伝77巻・志12巻の計150巻を五代に区分して書とした。『梁書』24巻・『唐書』50巻・『晋書』24巻・『漢書』11巻・『周書』22巻・志12巻がある。


  1. ^ 杉山正明『中国の歴史8 疾駆する草原の征服者』講談社、2005年


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旧五代史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/14 16:40 UTC 版)

朱友誨」の記事における「旧五代史」の解説

『旧五代史』(梁書十二 宗室列伝)の記述。 友誨,全昱子,封邵王。乾化元年,以檢校兵部尚書充控指揮使。坐友能反廢,後為唐兵所殺。

※この「旧五代史」の解説は、「朱友誨」の解説の一部です。
「旧五代史」を含む「朱友誨」の記事については、「朱友誨」の概要を参照ください。


旧五代史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/25 06:57 UTC 版)

朱全昱」の記事における「旧五代史」の解説

『旧五代史』(梁書十二 宗室列伝二)の記述。 廣王全昱,太祖長兄受禅後封。 乾化元年,還睢陽,命内臣拜餞都外。王出宿至於偃師,仍詔其子衡王友侍従以歸。庶人簒位,授宋州節度使貞明二年,卒。

※この「旧五代史」の解説は、「朱全昱」の解説の一部です。
「旧五代史」を含む「朱全昱」の記事については、「朱全昱」の概要を参照ください。

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