伐休尼師今とは? わかりやすく解説

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伐休尼師今

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/28 01:26 UTC 版)

伐休尼師今(ばっきゅう にしきん、生年不詳 - 196年4月)は、新羅の第9代の王(在位:184年 - 196年)であり、姓は昔。父は第4代の脱解尼師今の子の仇鄒角干、母は金氏の只珍内礼夫人。


  1. ^ 三国史記』新羅本紀・神徳王即位前紀では、第51代の神徳王を阿達羅尼師今の遠孫としている。このことについては神話の造作であったり王統系譜の造作であり、史実として論じるべき問題ではないと指摘されている。(→井上訳注1980)
  2. ^ 金仇道は金閼智の6世孫であり、後の13代味鄒尼師今の父に当たる。
  3. ^ 母山城については他に忠清北道陰城郡とする説、全羅北道南原市雲峰邑とする説もある。
  4. ^ 円山郷については忠清北道鎮川郡とする説もある。また、新羅時代には地方名に○○郷とする事例はほとんどない、とされる。(→井上訳注1980)
  5. ^ この敗戦の責任を問われ、金仇道は軍主の地位を退けられ、缶谷城の城主とさせられた。もともと城主というのは地方の有力者を指すものであったが、中央から城主として赴任する例は稀であるとされる(→井上訳注1980)


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