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脱解尼師今
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/09 06:19 UTC 版)
脱解尼師今(だっかい にしきん、生年不詳 - 80年)は、新羅の第4代の王(在位:57年 - 80年)であり、姓は昔(ソク)、名は脱解(タレ)。吐解尼師今(とかい にしきん、토해 이사금、トヘ・イサグム)とも記される。第2代の南解次次雄の娘の阿孝(アヒョ)夫人の婿。新羅の王族3姓(朴・昔・金)のうちの昔氏始祖。
- ^ 昔脱解が船で渡来した人物であることを示す挿話などと併せて、日本列島内に所在すると見る向きが多く、丹波国、但馬国、肥後国玉名郡などに比定する説がある。また、上垣外憲一は、神話である以上、他系統の伝承が混ざっているだろうと述べた上で、脱解は丹波国で玉作りをしていた王で、交易ルート(紀元1世紀から朝鮮半島南部と日本列島沿岸部の交易は盛んで、朝鮮からは大量の鉄が、日本からは大量のガラス製や碧玉製の玉と奴隷が輸出されていた)を経て新羅にたどり着いたというのが脱解神話の骨子だと推測できるとした。上垣外は脱解の出自を倭と断定することは出来ないが、昔氏は倭と交易していた氏族だと推測できるとした(以上、上垣外2003 p.73より)。井上秀雄は、新羅人の地理的知識の増加に伴って『三国志』に見える西域の小国の名を借りたか西域の楽神の乾達婆信仰に由来する国名に改めたものであり、倭国の東北とする文言も後世の挿入だと述べている(→井上訳注1980 p.35)。なお『三国遺事』では脱解の出身地は多婆那国ではなく龍城国とされる。
- ^ 「初其國王 娶女國王女爲妻 有娠七年 乃生大卵 王曰 人而生卵不祥也 宜棄之 其女不忍 以帛裹卵並寶物置於(木へんに賣)中 浮於海」
- ^ 慶尚南道蔚山広域市の目島と比定する説が有力。(→井上訳注1980)
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