三国遺事とは? わかりやすく解説

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さんごくいじ〔サンゴクヰジ〕【三国遺事】

読み方:さんごくいじ

朝鮮の歴史書。5巻高麗忠烈王のとき、僧の一然(1206〜1289)が撰。「三国史記」に漏れた新羅(しらぎ)・百済(くだら)・高句麗(こうくり)の遺聞集録したもの。仏教関係や民間伝承記事が多い。


三国遺事

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/30 02:30 UTC 版)

三国遺事』(さんごくいじ)は、13世紀末に高麗の高僧一然1206年 - 1289年)によって書かれた私撰の史書。大部分の撰述の時期は1270年代後半から1280年代中頃であり、一然の没後に弟子の無極(宝鑑国師の混丘)が補筆・署名し、刊行されたと見られる。


  1. ^ 韓国放送公社『標準韓国語発音大辞典』語文閣、1999年2月15日、317頁。ISBN 978-4891743796。"삼국유사 삼궁뉴ː사 samguŋɲuːsa 三国遺史"。 
  2. ^ 何則文 (2015年8月24日). “「韓國起源論」是這樣來的:從繼承中華到積極脫漢,韓國的千年自我追尋之路”. 関鍵評論網. オリジナルの2022年2月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220204073017/https://www.thenewslens.com/article/22469/fullpage 
  3. ^ 栗原薫「大化前代の紀年(三)」『北海道教育大学紀要. 第一部. B社会科学編』第33巻第1号、北海道教育大学、1982年9月、3頁、doi:10.32150/00002910ISSN 0386-4480CRID 1390857777802733696 


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三国遺事

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:27 UTC 版)

倭・倭人関連の朝鮮文献」の記事における「三国遺事」の解説

390年 第十七代、那密王即位三十六年に、倭王使者来朝して「わが王が大王神聖あられることを聞いて、臣に百済の罪を大王にあげるようにといわれました願わくば大王王子お一人つかわせて、わが君に誠意を御示しくださいませんか」と言った。そこで王は三男美海送った美海の年は十歳で、言葉動作未熟であったので、内臣娑覧を副使として付き添わせた。倭王は彼らを抑留し、三十年も帰さなかった。

※この「三国遺事」の解説は、「倭・倭人関連の朝鮮文献」の解説の一部です。
「三国遺事」を含む「倭・倭人関連の朝鮮文献」の記事については、「倭・倭人関連の朝鮮文献」の概要を参照ください。

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