閔哀王とは? わかりやすく解説

閔哀王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/17 02:19 UTC 版)

閔哀王(びんあいおう、817年 - 839年2月10日)は、新羅の第44代の王(在位:838年 - 839年)であり、姓は金、は明。『三国遺事』王暦では敏哀王の別表記も伝える。第38代元聖王の曾孫であり、父は大阿飡(5等官)の金忠恭[2]、母は金氏の貴宝夫人[3]、王妃は金氏の允容王后[4]。838年1月に反乱を起こして先代の僖康王を追い詰め、僖康王が自殺したことにより自ら即位した。


  1. ^ 『閔哀王石塔舍利盒記』による。
  2. ^ 金忠恭の大阿飡位は『三国史記』新羅本紀・閔哀王即位紀によるもので、金明(閔哀王)出生時のものと思われる。憲徳王紀には伊飡(2等官)にあったことが見え、『三国遺事』王暦では角干(1等官)とする。閔哀王の即位後に宣康大王と追諡された。
  3. ^ 『三国遺事』王暦には、母を恵忠大王(金仁謙への追封)の娘の貴巴夫人とする。閔哀王の即位後に宣懿太后と追封された。
  4. ^ 『三国遺事』王暦では、永恭角干の娘の允容王后とする。
  5. ^ 『三国史記』は、閔哀王の死去を1月19日、『三国遺事』王暦では、1月22日と記されている。


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