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慈悲麻立干
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/07/07 12:05 UTC 版)
慈悲麻立干(じひ まりつかん、生年不詳 - 479年)は、新羅の第20代の王(在位:458年 - 479年)であり、姓は金氏。先代の訥祇麻立干の長男であり、母は18代実聖尼師今の娘、王妃は訥祇麻立干の弟の舒弗邯(1等官)未斯欣の娘。458年8月に先王の死去に伴い、王位についた。『三国遺事』王暦では母の名を阿老夫人(または次老夫人)、王妃を巴胡葛文王の娘(または■叱希角干、別名未欣角干の娘)とする。
- ^ 泥河は、5世紀以前は江原道の南大川、6世紀以降は咸鏡南道の深浦川を指すものと考えられている。
- ^ 三年山城というのは築城から落成までに三年を要したことによる名であり、別名では烏頂山城。報恩郡の現地には遺構がある。多く例の見られる朝鮮式の山城ではなく、高さ6メートル余りの城壁をもつ中国風の城壁を持つ特殊な山城であり、新羅による半島統一の後も、示威的に利用されたという。
- ^ 『三国史記』高句麗本紀・百済本紀では蓋鹵王戦死については475年9月条に記しているが、新羅本紀では同じ内容を474年7月条に記し、それに続けて475年正月条に明活城へ居城を移したことを記している。記年のずれはあるが、百済王の敗死を聞いての移居と見られる。
- 1 慈悲麻立干とは
- 2 慈悲麻立干の概要
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