妖怪研究家として
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1966年から『週刊少年サンデー』連載の「ふしぎなふしぎなふしぎな話」で妖怪画を発表し始める。やがて、『週刊少年マガジン』増刊の『日本妖怪大全』を経て、1970年に『水木しげる妖怪画集』を刊行。その後も「妖怪図鑑」の類を多数執筆している。 水木は妖怪を題材にするにあたり、古い文献や絵巻などから多くの伝承や妖怪画を蒐集している。鳥山石燕など古典の画が存在する場合は参考にして描き、「子泣き爺」「砂かけ婆」「ぬりかべ」「一反木綿」など文字や言い伝えの記録のみで古典の画が存在しないものは、水木によって初めて絵として描かれた。そのため文献記録や伝承上で存在しつつも「形」は水木がイメージ創造した妖怪も多数あり、それ以降の日本人が持つ「妖怪」イメージは、水木の作品から大きく影響を受けている。 大衆の中で失われていた多くの妖怪を救ったともされ、水木を妖怪文化の継承者と評す声も多い。一方、創作の可能性も指摘されている出典不詳の妖怪(樹木子など)も何体か描いている。また、2007年8月に、妖怪研究家の湯本豪一が保有する江戸時代の絵巻に描かれた「四角い犬のような妖怪」が、米国ブリガム・ヤング大学の図書館にあるものと符合され、「ぬりかべ」の絵と判明するなど、水木が絵として描いた時点では未発見で、当時は文字で名前や伝承しか記録が無いと判断されていた水木の創作以前の妖怪絵が、水木の執筆以降に新たに発見されている事例もある。1980年代には『水木しげるの妖怪事典』(正・続)、『水木しげるの世界妖怪事典』などを発表。 1992年に『カラー版 妖怪画談』を岩波新書から刊行して話題となり、日本の民間伝承上の妖怪への大衆の認知が一段と高まる。1998年からは、1600点以上の妖怪画を収録した『妖鬼化』シリーズが刊行された。 水木の周囲に妖怪好きの人々たちが集まってきたことから、1995年に世界妖怪協会を設立して会長となる。荒俣宏、京極夏彦、多田克己らが会員となり、「世界妖怪会議」が開催される。1997年からは、世界妖怪協会公認の妖怪マガジン『怪』(角川書店)が刊行開始。水木も漫画を執筆している。 それらの「妖怪好き」の人々たちや、ノンフィクション・ライターの大泉実成らと、アフリカ・マリ共和国のドゴン族、マレーシアの夢を自由に見られるセノイ族、オーストラリアのアボリジニ、メキシコのインディオたちの村、アメリカの先住民・ホピ族の村など、世界のあちこちに「冒険旅行」と称したフィールド・ワークに行き、各地のスピリチュアル文化に触れて「妖怪を感じて」いる。その際、祭りなどがあるとビデオ撮影や録音をして、自宅で何度も鑑賞している。旅先で購入した仮面なども蒐集しており、自宅などに展示している。 大泉実成『水木しげるの大冒険』によると、マレーシアのジャングルで、現地人に『日本妖怪大全』を見せたところ、「これは知っている」「これも知っている」と、猛烈な反応があった。それらの結果として水木は、「世界の妖怪は1000種類に集約される。世界各地の妖怪はほぼ共通している」という「妖怪千体説」を唱えるようになる。
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