妖怪研究家としてとは? わかりやすく解説

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妖怪研究家として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 06:50 UTC 版)

水木しげる」の記事における「妖怪研究家として」の解説

1966年から『週刊少年サンデー連載の「ふしぎなふしぎなふしぎな話」で妖怪画発表し始める。やがて、『週刊少年マガジン』増刊の『日本妖怪大全』を経て1970年に『水木しげる妖怪画集』を刊行その後も「妖怪図鑑」の類を多数執筆している。 水木妖怪題材にするにあたり、古い文献絵巻などから多く伝承妖怪画蒐集している。鳥山石燕など古典の画が存在する場合参考にして描き、「子泣き爺」「砂かけ婆」「ぬりかべ」「一反木綿」など文字言い伝え記録のみで古典の画が存在しないものは、水木によって初めて絵として描かれた。そのため文献記録伝承上で存在しつつも「形」水木イメージ創造した妖怪多数あり、それ以降日本人が持つ「妖怪イメージは、水木作品から大きく影響受けている。 大衆の中で失われていた多く妖怪救ったともされ水木妖怪文化の継承者と評す声も多い。一方創作可能性指摘されている出典不詳妖怪樹木子など)も何体か描いている。また、2007年8月に、妖怪研究家湯本豪一保有する江戸時代絵巻描かれた「四角のような妖怪」が、米国ブリガム・ヤング大学図書館にあるものと符合され、「ぬりかべ」の絵と判明するなど、水木が絵として描いた時点では未発見で、当時は文字で名前や伝承し記録が無いと判断されていた水木創作以前妖怪絵が、水木執筆以降新たに発見されている事例もある。1980年代には『水木しげるの妖怪事典』(正・続)、『水木しげる世界妖怪事典』などを発表1992年に『カラー妖怪画談』を岩波新書から刊行し話題となり、日本の民間伝承上の妖怪への大衆認知一段と高まる。1998年からは、1600点以上の妖怪画収録した妖鬼化シリーズ刊行された。 水木周囲妖怪好きの人々たちが集まってきたことから、1995年世界妖怪協会設立して会長となる。荒俣宏京極夏彦多田克己らが会員となり、「世界妖怪会議」が開催される1997年からは、世界妖怪協会公認妖怪マガジン『怪』(角川書店)が刊行開始水木漫画執筆している。 それらの「妖怪好き」の人々たちや、ノンフィクション・ライター大泉実成らと、アフリカ・マリ共和国ドゴン族マレーシアの夢を自由に見られるセノイ族オーストラリアアボリジニメキシコインディオたちのアメリカ先住民ホピ族など、世界あちこちに「冒険旅行」と称したフィールド・ワーク行き各地スピリチュアル文化触れて妖怪感じて」いる。その際祭りなどがあるとビデオ撮影録音をして、自宅何度も鑑賞している。旅先購入した仮面なども蒐集しており、自宅などに展示している。 大泉実成水木しげる大冒険』によると、マレーシアジャングルで、現地人に『日本妖怪大全』を見せたところ、「これは知っている」「これも知っている」と、猛烈な反応があった。それらの結果として水木は、「世界妖怪1000種類集約される。世界各地妖怪はほぼ共通している」という「妖怪千体説」を唱えるうになる

※この「妖怪研究家として」の解説は、「水木しげる」の解説の一部です。
「妖怪研究家として」を含む「水木しげる」の記事については、「水木しげる」の概要を参照ください。

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