大諸侯の成長と騎士の没落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 21:26 UTC 版)
「騎士戦争」の記事における「大諸侯の成長と騎士の没落」の解説
永久ラント平和令により、大衆を直接支配し、税を徴収したり徴兵を行ったりするのは領邦(世俗諸侯である領邦君主や聖界諸侯である大司教など)や帝国自由都市が担うことになった。この意味で、帝国の直属下にあるのは領邦であり、大衆は間接的な臣民ということになった。この制度が出来上がるまでには有力な諸侯の意向が働いており、大諸侯ほど有利に領邦国家を形成していったのに対し、中小諸侯の力は弱められていった。とりわけ下級貴族である騎士層の身分の取り扱いはあいまいで、彼らは「帝国騎士(ドイツ語版)(ライヒスリッター)」と位置づけられて帝国直属ではあるようだったが、きちんと定められていなかった。彼らは帝国直属の身分であるにも関わらず、帝国議会の票決権も有していなかった。オーベルライン(ドイツ語版、英語版)と呼ばれるライン川の上流域、すなわちドイツの南西部は、とりわけこうした帝国騎士や小領邦が多かった。 この時代には、火薬の登場に代表される技術の進歩と発展によって戦術が大きく変わった。戦場で決着をつけるのは、勇敢な騎士ではなく、性能の良い大砲や鉄砲になった。それを操るのは市民兵である。皇帝マクシミリアン1世が「最後の騎士」と呼ばれたように、15世紀の終わりから16世紀にかけて、騎士の時代は終わりを迎えつつあった。貨幣経済の普及と都市の発展がこれに拍車をかけた。かつては騎士に対する報酬は土地と農民(農奴)だったが、金で雇う傭兵が用いられるようになると、皇帝や君主たちは、傭兵に払う金の出どころである都市の市民を重視することになり、そのことも封建的な騎士階級の地位を引き下げることにつながった。しかし騎士が領邦に仕えようにも、そこで重用されるのは大学教育を受けた知識階級であり、騎士は居場所が無くなっていった。 彼らはもともと下級貴族だったが、領地は小さく、経済的には生活を維持できるかどうかの水準にまで貧窮していた。彼らの多くは傭兵として給金を稼ぐことで生計を立てており、仕事先を求めて各地をうろついていたが、こうした傭兵の存在自体が争い事の原因にもなっていた。彼らは仕事がなければ盗賊となって町や行商人を襲い、強盗や略奪を行い、盗賊騎士(Raubritter)として浮浪した。一応は貴族の身分でありながら、こうした行為を働いて都市で捕まり、処刑された者も珍しくなかった。
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